春になって新芽が元気よく伸びていくのを見るのは栽培者にとってこの上ない喜びです。まず三枚葉が2枚、続けて五枚葉が5節以上展開し、再び三枚葉が2枚出て、柳葉が一対、そして結蕾するのが通常のパターンです。ところが中には早々と結蕾する株があります。
それが特に目立つのは、交配によって生まれた実生苗や、接木したばかりの新苗ですが、中には成株のステムでも出ることがあります。私の成株の場合、ステム300本あまりの中で6本なのでその発生率は2%ですが、その原因が分かりません。このページは「早すぎる結蕾」について、その理由を花成ホルモン「フロリゲン」の機能から考える "自習ノート" です。
2023年8月18日 重要な追記
この記事では、花芽形成ホルモン「フロリゲン」の生合成が夕刻から夜のはじめにかけて行われるという説を前提にしています。しかし、奈良先端科学技術大学院大学 植物生理学(遠藤研究室)の研究によって、朝にも活発に行われているということがわかりました。それを8月18日の記事:「花成ホルモン・フロリゲンは朝夕二度作られる」に書いています。このページの内容はそれを加味しないままにしておきますのでご注意ください。
これは「デービッド接ぎ挿し」をしたツリー仕立ての枝先です。伸びた2芽は5枚葉が3節で結蕾しています。挿木している培地は水苔と鹿沼土だけ。無肥料なので肥料過多が原因ではないし、新葉の状態から不足でもなさそう。栄養状態と無関係とすれば。。
この早すぎる結蕾はハウス栽培の私だけではなく、露地植えで育てているバラ仲間も『結蕾が早すぎるので、ピンチしようか?』と連絡してきます。ハウス栽培だけでなく幾つかの異なる環境で早々と結蕾してしまうものがあるのはなぜでしょう? 剪定時期と方法については、バラ会の先輩たちの優れた実践の成果で、ほぼわかっています。大半のステムは予期した時期に結蕾・開花するのですが、中にはこのように早く結蕾してしまうものもあります。
接木した株の接ぎ穂から出る新芽・新梢の状態は、接木した時点でのその芽の生育程度に大きく影響されるようです。特に、展葉し始めた時点での気温が重要で、氷点に近い低温に遭遇すると生育が止まって「お地蔵さん」になり、逆に30°Cにも達する高温に遭遇すると、このように早く結蕾してしまうのでは。全部の株が一律に結蕾しているのではない理由は、そのような低温・高温に遭遇した時の芽の生育程度が同じではなかったからと推測しています。
実生苗や接木苗はさておき、成株の場合はもう一つ考えられる理由があります。それは "花芽形成のタイミング" 。
バラ会では、開花を春・秋のばら展会期に合わせるために、気温(剪定日から開花日までの日平均気温の積算温度)をベースにして考えます。実績に裏打ちされているのでほぼその時期に咲くのは間違いないのですが、でもその考え方は本当に正しいのか、それでは説明できない事象もあり、開花時期を決めるのは積算温度だけではないのではないか? というのがこのページのテーマです。
以下、四季咲き性バラの春の開花時期を決めるメカニズムを私なりに考えてみますが、怪しげな知識をベースに、書きながら資料を探し、修正や追記を重ねているので論旨もあやふや、結論らしきものもありません。もし読まれるなら『間違い探し』のつもりで。:p
1. フロリゲンとその働き
花芽は茎頂分裂組織(シュート頂メリステム)で作られます。葉と花は見た目は大きく異なりますが、同じ茎頂分裂組織から発生する "相同" 組織です。茎頂分裂組織で葉の原基が作られている時に、あるタイミングで花を作る遺伝子群を読み出すスイッチがONになって、葉に替わって花の原基が形成され始めます。そのスイッチの役割を果たすのが、花芽形成をコントロールする植物ホルモンの「フロリゲン」です。
参照:
- フロリゲン|Wikipedia
- 花芽を作るホルモン・フロリゲン | みんなのひろば | 日本植物生理学会
- 花が咲くメカニズムを解明|京都大学大学院 生命科学研究科教授 荒木 崇|学外向け広報誌『紅萠』17号
- 京都大学大学院 生命科学研究科 分子代謝制御学 ホームページ
バラの場合、茎頂分裂組織における花芽形成(花成)のタイミングは意外に早く、これまでの観察では、新芽が僅か1〜2㎝伸び、幼葉が展開し始めた時点までに決まるように思えます。五枚葉が展開したのちに三枚葉が展開し、結蕾に続きますが、上部の三枚葉の上に再度五枚葉が展開することはけっしてありません。つまり、上部の三枚葉の原基が作られ始めた時には、既に花芽形成のステージへの移行が始まっている と見なすことができます。
その段階では新芽はまだ小さく下段の五枚葉の展葉が始まったばかり(幼葉でも光受容体タンパク質は機能する)です。バラの場合は「栄養成長」と「生殖成長」がわずかなライムラグで同時に進行する(と言うか、そういう区分は意味がない)ように思えます。
さて、上記「参照」資料で説明されているように、花芽形成には植物ホルモンの「フロリゲン」(FTタンパク質*)が関わるのですが、それは「日長」の影響を強く受け、それによって花成を開始する時期の到来を知ります。結蕾した株は、そのプロセスで重要な働きをする光受容体タンパク質・フィトクロムや "概日時計"|化学と生物 Vol. 55, No. 3, 2017 が、ハウス内で栽培という自然ではない環境の何かの影響を "たまたま" 受けて反応し、その結果、FT遺伝子を読み出すCOタンパク質が働いて、早期にFTタンパク質ができてしまうという事態に出くわしたのではないか?・・というのが私の推測です。「何かの影響をたまたま」とは、はなはだ非科学的ですが:p
*註:花成にはFTタンパク質のほかにも14-3-3タンパク質やFDタンパク質が関与し、AP1遺伝子から花成に必要な遺伝情報の読み出しを行います。このプロセスについては、放送大学テキスト「植物の科学」の「成長・発生(5)〜花芽形成〜」京都大学大学院 生命科学研究科 荒木 崇教授 を参考にしました。これは研究用モデル植物「シロイヌナズナ」(アブラナ科)の場合で、バラの場合は関連するタンパク質(転写因子として機能する)やそれをコードする遺伝子が異なるでしょう。例えばイネの場合は、シロイヌナズナの FTタンパク質 に相当するのは Hd3aタンパク質 です(上記 参照1 /ちなみにこれは「高校生物」の履修範囲。今どきの高校生はこんなことまで勉強しているんですね)。しかしその基本的な仕組みは単子葉植物でも双子葉植物でも共通しているようなので、バラも同じであろうという前提で考えています。
…が、一年草と四季咲き性のバラを同列に扱うのはかなり乱暴で、もしかしたらどこかに大きな誤解があるのかも。要注意。
4月24日追記:『大きな誤解があるのかも』と思うのは、例えば以下のような指摘。
参考:「バラの開花の遺伝学とゲノミクス 」 リヨン大学 モハメド・ベンダマン et al. 2013
"Genetics and genomics of flower initiation and development in roses" | Journal of Experimental Botany | Oxford Academic
備考:モハメド・ベンダマン教授(とその研究チーム)は、四季咲き性バラ「ロサ・キネンシス」の全ゲノム解読をした研究者。
この論文の「反復開花と開花時期」の項には、以下のような記述がある。
Roses are perennial shrubs with axillary buds that undergo floral transition in late autumn, remain dormant in winter, and bloom in spring when temperatures are permissive. Short-day cultivars of roses flower once a year in spring; most of the ever-blooming long-day cultivars flower recurrently until autumn or even until the first frost. The flowers occurring in spring originate from buds that have undergone floral transition in autumn.
バラは腋芽を持つ多年生の低木で、晩秋に "Floral transition" が起こり、冬は休眠状態のままで、春に気温が許容範囲になったら開花します。バラの短日品種は年に1回だけ春に開花します。四季咲き性の長日品種のほとんどは秋まで、または最初の霜が降りるまで、繰り返し花を咲かせます。春に咲く花は秋に "Floral transition" を行った芽に由来 します。
Google Translate は "Floral transition" を「花の移行」と翻訳するが、これが「花芽形成」とすれば、私の推測=「花芽形成は新芽が1〜2㎝伸びた頃」というのはガラガラと崩れてしまう:p 春に伸びる芽の原基が前年の秋に作られるというのはわかるが、でもそれは「花芽形成」を含むのだろうか?
花の原基が作られるには、それに先立って三枚葉や五枚葉など、その品種の葉序に沿って一定数の原基が作られている必要がある。もしそうだとしたら、では冒頭の写真のように五枚葉3節で早々と結蕾する場合が生じるのはなぜだろう? 下の写真は接ぎ穂が五枚葉を出すことなく結蕾した例。穂木には前年秋に小さな芽ができているが、それが既に花成している(花の原基ができている)とすれば、このように五枚葉が消えてしまうのは理解するのが難しい。
"Floral transition" が何時どのように行われるのか、その実態を知るにはベンダマン教授の記事をさらに読み進める必要があるが、これに続く記述は私には難解で、残念ながら理解できない。自分の考えは根本的に間違っているかもと疑いながら、さらに怪しげな考察を続ける:p
2. 積算温度を根拠にして剪定日を決める方法で、予定した日にバラを開花させるのは神業に等しい
花成のタイミングに影響が大きいのは「日長」と「温度」です。熱心なバラ栽培者は気温(剪定から開花までの日平均気温の積算温度)で開花時期を考えるのですが、どうもそれだけでは説明できないように思えます。特に 春のバラ は。
二番花から初秋にかけての昼間の時間が長い条件下での開花は、以下で触れる「COタンパク質の分解」の影響がないので、積算温度で開花日を予測するのは基本的に正しいアプローチだろうと思います*。その一例が、「ばらと遊ぶ12ヶ月 8月」に掲載されています。同様に積算温度で予測する春の開花については、同10月号などに掲載されています。(このサイトは、福岡バラ会や九州バラ研究会、日本ばら会で活躍された 唐杉純夫さんのホームページ:「ばらつくりのよろこび」で、私がその制作を担当させてもらいました。)
唐杉さんは緻密なデータ(積算温度)で剪定ー開花時期を考えられるのですが、それでも『ばらの開花を目標点に着地させることは神業に等しい』と結論してあります。これは唐杉さんだけでなく、同様の方法で開花時期を予測する栽培者に共通した認識のようです。その理由を「剪定から開花までの気温の変化を予測することは難しいから」とされていますが。。
「ばらと遊ぶ12ヶ月」の初出は日本ばら会の会報「ばらだより」の2001年版です。今から20年以上も前のことで、当時は花成ホルモン「フロリゲン」の存在は栽培者にはほとんど知られていなかったのでしょう。その存在については推測のレベルであり、FT(FLOWERING LOCUS T)遺伝子が京都大院の荒木崇 et al. によって確認されたのは1999年で、フロリゲンの正体はFTタンパク質ではないかとする研究結果は2007年に発表されました。(出典:上記 参照1)
唐杉さんは花成時期について気温以外のファクターを考慮されたようではありませんが、剪定から開花までの日平均気温の積算温度で開花時期を予想する方法については疑問を持たれる結果になった(完全に否定するのではない)ようです。薄々ながらもそれに気づかれたのは熱心に取り組まれたからこそで、生意気な言い方ですが、そこが唐杉さんの優れたところだと思いました。
*註:ばら会では、なぜ「積算温度」で開花時期を考えるのか、理由は知りませんが、それ以外に方法は無いだろうと思っています。 "正しいアプローチ" とはその程度のニュアンスですが、でも秋の開花時期を「積算温度」で考えることへの疑問は、身近な1年草でも経験することがあります。例えば、私の畑にいっぱい生える "コセンダングサ" |ヤサシイエンゲイという、秋に開花する短日植物(限界暗期よりも長い夜になった場合に花成が誘導される)があります。晩秋まで残すと厄介なひっつき虫なので夏の間に地際で切り払いますが、切り株からすぐに新たな茎が伸びて、秋には茎数は少なく背丈は低いままなのに、切り残したものとほぼ同時期(1週間ほどは遅れるようだが、切り残した株の花はまだ咲いている)に開花します。これなどは秋の開花が必ずしも「積算温度」でコントロールされているのではないという一例です。
年に一度晩春に開花する原種のバラに、日長に影響されず花成するロサ・キネンシスのスポーツ(枝変わり)の遺伝子が交雑によって組み込まれた。それによって「四季咲き性」という栽培上の優れた形質を獲得したが、原種にあった「光周性」|Wiki が破綻した。でも「日長」の影響を強く受ける元の遺伝子が今なお残っている。冬の寒さに長期間曝される "春化(Vernalization)" を経ることで春の開花は "先祖返り" して(四季咲き性がリセットされて)、他家受粉をするために、同じ品種は同じ時期に一斉に咲こうとする形質が発現 する。ーーと考えています。
3. さらに怪しげな
開花時期(剪定から開花までの期間)を予測するとき、気温は年ごとに変動があるが、「日長」は年ごとの変化がないので重要なファクターではないと見做されてきた。はたしてそうだろうか?
- 花成ホルモン「フロリゲン」(FTタンパク質)を作るには、その遺伝子を読み出すためにCOタンパク質が必要
- COタンパク質を作るCO遺伝子の遺伝情報は、"概日時計" の働きで 夕刻(日の出から約11時間後)に読み出される
- できたCOタンパク質は光が無いと分解されてしまい、その結果「フロリゲン」(FTタンパク質)の生合成は起きない
つまり、
夕刻の光の有無(明るさの程度)が、花芽を作る植物ホルモン「フロリゲン」を生合成するための重要なファクター
これを具体的に考えてみる。以下は私の栽培地・福岡におけるこの時期の日の出・日の入りの時刻と、CO遺伝子の読み出し時刻を重ねたもの。
月/日 | 日の出 | 日の入り | CO遺伝子 読み出し時刻* | その結果 |
---|---|---|---|---|
1 /15 | 7:23 | 17:33 | 18:23 | 光が無いので、できたCOタンパク質は直ぐに分解されてしまう |
2 / 1 | 7:15 | 17:49 | 18:15 | 同上 (COタンパク質が無いとFT遺伝子の読み出しは起きない) |
2 /16 | 7:02 | 18:03 | 18:02 | 僅かに残ったCOタンパク質で、FT遺伝子の読み出しが起き始める |
3 / 1 | 6:48 | 18:15 | 17:48 | 光によって分解を免れたCOタンパク質が多く残り、FT遺伝子の読み出しが起きて、その結果、より多くのFTタンパク質(フロリゲン)が作られる |
*CO遺伝子の読み出し時刻は日の出から約11時間後。なお、前述の "概日時計"|化学と生物 Vol. 55, No. 3, 2017;によれば、「植物の概日時計は "太陽電池で動くカレンダー付き電波時計" と考えられる」とのこと。植物の体内時計は電波時計並みに日に何度も時刻のズレを補正し正確な時刻を把握している。しかも "カレンダー付き" ということに注目。植物は自分がどの時期に開花すべきかをわかっているように見える。前に例にあげたコセンダングサの一斉開花がその一例。
花成のタイミングを律するのに、時計とともに重要な働きをする要素が「光」。下記のページには光受容体のフィトクロムが遺伝子の発現を制御する機能を簡潔に紹介してあり、必読。
参考:植物が光を感じる仕組み 長谷 あきら(京都大学大学院 理学研究科)| みんなのひろば | 日本植物生理学会
栽培場所に固有の地形(スカイライン)などは考慮に入れず大雑把に把握すると、COタンパク質がFT遺伝子の転写因子として機能する(フロリゲンが生合成され始める)のは、福岡では2月16日以降となり、これは「春化」を経た新芽が伸び始める時期と符合し、これが春の一番花の花成開始のタイミングと考えている。
註:ただし、このデータの基本になる「CO遺伝子の読み出し時刻は日の出から約11時間後」というのは、そのような記述を読んだことがあるだけで、それを考察した論文などを、特にバラの場合はどうなのかを検証したデータを見たわけではない。たぶん "きっちり11時間後" ではなく12時間後かもしれず、この「花成開始日」は数日程度のズレがあるだろう。あるいは「早咲き」「遅咲き」など、品種によってCO遺伝子の読み出し時刻が異なることも当然考えられる。そしてこれには「気温」という要素が反映されていない。
地形による日長の差が開花時期に与える影響もかなり大きく、山かげなどで朝日が当たるのが遅かったり夕暮れが早かったりすると、同じ福岡でも春の開花が2週間も遅れる事例を知っている。
それらを意識しつつ、同様の方法で各地の花成開始日を推測してみる。
地域 | 花成開始日 2月/日 | 日の出 | 日の入 | CO遺伝子 の 読み出し時刻 | 花成開始 福岡との日差 | 平均気温 平年値 2~4月の平均値(℃) | 2023年春 ばら展初日* カッコ内は福岡展との日差 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
鹿児島 | 13 | 7:02 | 18:02 | 18:02 | -3 | 13.3 | |
熊本 | 15 | 7:01 | 18:02 | 18:01 | -1 | 11.3 | 熊本ばら会 5月 5日 (0) |
福岡 | 16 | 7:02 | 18:03 | 18:02 | (基準) | 11.3 | 福岡バラ会 5月 5日 (基準) |
福山 | 17 | 6:50 | 17:51 | 17:50 | +1 | 9.1 | 福山ばら会 5月27日 (21) |
高松 | 17 | 6:47 | 17:49 | 17:47 | +1 | 10.1 | |
大阪 | 17 | 6:42 | 17:42 | 17:42 | +1 | 10.6 | 関西ばら会 5月12日 (7) |
京都 | 18 | 6:40 | 17:42 | 17:40 | +2 | 9.5 | |
金沢 | 20 | 6:36 | 17:38 | 17:36 | +4 | 8.1 | 金沢ばら会 5月20日 (15) |
岐阜 | 18 | 6:37 | 17:37 | 17:37 | +2 | 9.6 | 岐阜ばら会 5月13日 (8) |
横浜 | 18 | 6:25 | 17:26 | 17:25 | +2 | 10.3 | 横浜ばら会 5月10日 (5) |
東京 | 18 | 6:25 | 17:25 | 17:25 | +2 | 9.9 | 日本ばら会 5月13日 (8) |
さいたま | 19 | 6:25 | 17:26 | 17:25 | +3 | 9.0 | 埼玉ばら会 5月13日 (8) |
花巻 | 22 | 6:19 | 17:19 | 17:19 | +6 | 3.6 | 花巻ばら会 6月 9日 (35) |
八戸 | 24 | 6:20 | 17:22 | 17:20 | +8 | 3.9 | 八戸ばら会 6月10日 (36) |
札幌 | 25 | 6:18 | 17:18 | 17:18 | +9 | 1.9 |
- 日の出入りは 「各地のこよみ |国立天文台暦計算室」 を参照
- 2月〜4月3ヶ月間の平均気温(平年値)は「気象庁|過去の地域平均気象データ検索」を参照
- 各地のばら展の開催日は、(公)日本ばら会「各地のばら展情報 2023年春のばら展」より引用
このように、鹿児島は福岡より3日早い2月13日に花成がスタートし、東京は2日、金沢は4日、花巻は6日遅くなる。各地の開花日が北に行くほど遅くなるのは気温が低いからと思っていたが、そもそも花成開始の時期が違うのだ。これは 気温ではなく「日長」によって制御されている ことに注目。
POINT:ところが、春の日長は日毎に長くなっていくものの朝夕の光の有無は必ずしも「日の出入り」時刻どおりではなく、その日の天候次第で変わることもある。多くの植物はそのことを知っていて、1日だけの日長ではなく数日間のそれを平均化して、"ある日の日長の影響をたまたま受ける" ことによる花成開始時期の誤差を小さくするために、COタンパク質でFT遺伝子の読み出し量を制御する仕組みを持っているが、芽吹きの頃の不安定な天候では日の出入り時刻が平年よりずれる日が続くこともある。
春の開花が予測日からずれる原因については、花成から開花までの気温の変動の影響のほかに、このように花成のタイミングが関係していると推測しているのですが、でもこれは 数日から1週間程度 早く/遅く 咲く理由 にしかならず、今回のように極端に早く結蕾する原因は、これでは説明できません。では、何がこのような早い結蕾を引き起こすのでしょうか。
それを考える前に、花成時期の「気温」の影響について。
花成・開花時期と気温
*花成開始から開花までに要する日数は各地でどの程度の差になるのか。参考になるのは各地のばら会が開催する春のばら展の会期。たぶんその地域で春のバラが最も美しく咲く時期に開催されるだろうから、開花時期の目安になる。
開花時期は、福山を除く関東以西はほぼ想定範囲内だが、花成開始の日長条件が整うのが福岡より6日遅い岩手県花巻市の開花は35日も遅れる。これは気温の影響が大きいと思われるので、この時期の花巻市の気温を福岡と較べてみる。
地域 | 月日 | 日差 | 平均気温(℃) | 最高気温(℃) | 最低気温(℃) | ばら展開催初日/日差 |
---|---|---|---|---|---|---|
福岡 | 2月16日 | 基準 | 7.8 | 11.6 | 4.5 | 福岡バラ会 5月 5日 |
花巻 | 2月22日 | 6日 | -0.2 | 4.7 | -5.0 | 花巻ばら会 6月 9日/35日 |
3月23日 | 35日 | 4.1 | 9.9 | 1.3 |
花成ホルモン・フロリゲン(FTタンパク質)を発現するために必須な転写因子・COタンパク質は光がないと分解されてしまうということから花成開始日を推定すると、花巻における花成開始日は2月22日。でも、この日の平均気温(平年値)は -0.2℃ で、これでは日長条件がOKでも実際にCOタンパク質ができることはほとんどないと思われる。
タンパク質を生合成する流れは以下のようなもの。セントラルドグマ|Wiki より部分引用し改変;
- 転写因子とRNAポリメラーゼⅡ(酵素)の働きにより、DNAの遺伝情報がmRNAに転写される
- mRNAが核膜の孔を通って核から細胞質基質に出て、細胞質基質中のリボソームと結合する
- リボソームでは、mRNAの3つずつの塩基配列(コドン)に対応したアミノ酸がtRNAによって運び込まれ結合し、ペプチド(タンパク質)が作られる
このように複雑な生化学反応が起きる。花成ではこのような反応が幾重にも連なる。低温時には酵素反応が低下するだけでなく、脂質二重層でできている細胞膜や細胞内小器官(核やミトコンドリア、ゴルジ体など)の膜が低温によって(バターが低温で硬くなるように)柔軟性を失い、膜を貫通している輸送体タンパク質の働きが制約され、生命活動の速度が低下する。
フロリゲン(FTタンパク質)が生合成されるのは、夕刻にCO遺伝子が読みだされCOタンパク質ができてから後のことなので、特に夕刻の気温が重要*になる。花巻で実際に花成開始となるのはもっと暖かくなってからと推測されるが、具体的な気温はわからない。一般的にバラの休眠は7℃以下が連続する場合とされるが、7℃以下では全ての生命活動が停止しているのではないだろう。FTタンパク質もある気温で一気に生合成されるのではなく、日長や気温に応じて少しづつ増えていく(花成は徐々に進行していく)システムになっているようだ。
*参照:"Time of day effects of warm temperature on flowering time involve PIF4 and PIF5"|Journal of Experimental Botany | Oxford Academic 2014 年 Bryan C. Thines et al.
花巻のみなさんはいつ頃に剪定されるのでしょうか。3月中旬が適期かと思うのですが、実際はいかがでしょう?
広島県福山市では、2025年5月18日~24日に「第20回世界バラ会議福山大会2025」が開催される。福山市は瀬戸内という温暖な地域のイメージがあるが意外に気温が低い。しかしそれにしても、福山ばら会の 2023年春のバラ展は5月27日28日の両日に開催という特異性が目立つ。何か、実績に基づく根拠があってのことだろうけど。
4. バラのゲノムは不安定?
バラの四季咲き性品種は長い栽培史の中で複雑な交雑を重ねてきたので、ゲノムがかなり複雑になっている(多くの対立遺伝子を持っている。"遺伝的多様性を持っている" と見ることもできる)のだそうです。同じ交配親から生まれた株それぞれに、株ごとにまるで違った花が咲く場合が多いのを見るとそれも肯けます。花成の仕組みも「四季咲き性」という因子が組み込まれたがゆえに、他の植物よりもさらに複雑そう。
「ゲノムが壊れているんだ。四季咲き性のバラにはありがちなことで、そんなものなんだ」という穴に逃げ込めば、悩むこともないんですけど:p
でもこの「ゲノムが壊れている」というのはあながち荒唐無稽なことではなさそうです。発展がめざましい分子生物学の分野では、遺伝子の操作で形質転換させた植物が研究に積極的に利用されています。特定の遺伝子の機能を人為的な操作で過剰に発現させたり、あるいは逆に止めたりする(野生種と比較すれば "ゲノムが壊れている" 状態を作る)ことで植物の生理機能を調べるという手法です。
上記「参照:フロリゲンとその働き」の項で紹介した 京都大院 生命科学研究科 分子代謝制御学 HP の「成長相転換(花成)の制御〜その3〜 1.5.2 FT遺伝子 - 花成の促進遺伝子 -」に、
『FT遺伝子とLFY遺伝子を構成的に高発現させた形質転換植物が発芽後、栄養成長を経ることなく直ちに花成する』
という実験結果が解説されています。これと同じ内容が、「花を咲かせる遺伝子」 | みんなのひろば | 日本植物生理学会 で簡潔に紹介されています。そのページから引用:
「FT遺伝子とLFY遺伝子というたった2つの遺伝子を働かせることで、植物が花芽をつくることを強力に促すことができる」
備考:LFY遺伝子は、茎頂分裂組織に花芽の原基を作るために、その花の特徴などの遺伝情報を付与する遺伝子です。
これは「シロイロナズナ」の場合ですが、これから類推して、極端に早い結蕾はやはり花成ホルモン・フロリゲンに関係する遺伝子群の異常な発現によるものだろうと思います。その原因は、それがこのページの "ミソ" なんですが、わかりません:p
気温の激変ショック
でも私の栽培環境に限れば原因として疑わしいことがあります。それは「温度ショック」。新芽が動き始めた2月の中旬頃の晴天の日に、ハウスのサイドビニールの開放ができず、内部の気温が一時的に30°Cを超えた日が数回ありました。最低気温が氷点前後の頃です。
- 「植物が温度を感じる仕組み」 | みんなのひろば | 日本植物生理学会
- 「植物はどこで、どのようにして温度を感じるのか?」 | みんなのひろば | 日本植物生理学会
6時間程度の間に 0°Cから30°Cを超える気温の変化に、動き始めたばかりの幼芽が対応できず「タンパク質の変成を起こし、多くのタンパク質・酵素の機能が失活」(上記より引用)したのではないか。DNAに記録されている遺伝情報を読み出し、RNAに転写するのもタンパク質の働き(転写因子|Wiki)です。
バラの苗や切り花の生産者は、この時期のハウス内温度を12〜24°Cになるよう設定するのだそうです。私の場合はそれよりも5〜7°C高い気温が3時間ほども続いた事態でしたが、その程度では新芽が枯死するようなことは起きませんでした。でも、問題は最高気温ではなく、短時間での気温の変動幅の大きさです。それによって転写因子として機能するタンパク質の一部が変成し、たまたま花成の微妙なタイミングにあった新芽だけが強い影響を受け、「ゲノム(花の形成に関わるMADSボックス遺伝子)が壊れている」かのような状態を引き起こしたのではないだろうかと考えています。
MADSボックス遺伝子について MADSボックス|Wikipedia から一部を引用
MADSボックス遺伝子の中には、花の発生においてホメオティック遺伝子と類似の働きを果たすものがある。AGAMOUS や DEFICIENS といった遺伝子がその例で、花発生のABCモデルにおいて花器官のアイデンティティの決定に関わっている。
花成の時期の決定にもMADSボックス遺伝子が関わっている。シロイヌナズナでは、MADSボックス遺伝子の SOC1 と Flowering Locus C (FLC ) が花成における主要な分子経路を統合するのに重要な役割を果たしていることが示された。こういった遺伝子は正しいタイミングで花を咲かせるのに必須の役割を果たし、繁殖において最も成功が見込める時に確実に受精が起こるような仕組みを実現している。
ですが、ほんとうのところはわかりません。遺伝子レベルのことは研究の成果を期待するとして、栽培者としては、どのような場合に「早すぎる結蕾」が発生したのか 観察と記録が不十分で、問題点の切り分けができていない と反省。
5. いつ咲くかはバラに任せて
前述の 京都大院 分子代謝制御学 HP で指摘された「栄養成長を経ることなく花成する」というのは、今回のテーマである「極端に早い結蕾」に似ています。その "極端な" 例では、交配してできた種子から発芽して間もないわずか数センチの幼苗(初生葉と小さな三枚葉が4節のみ)が結蕾していることもありました。実生苗には別の要因もあるのかもしれませんが、成株や接木苗のこのような早すぎる結蕾にフロリゲンに関係する遺伝子群が関与しているとして、では栽培者はどうすればいいのか。。これまた『ほっとけ』なのかな?
早すぎる結蕾を避けたいのは、そのバラが最も美しく咲く時期に開花させたいからなんですが、いつ咲くかはバラに任せて、『ほっとけ』がいいのかもしれません。原因がわからないので、何の手立てもないし。
バラの生育をコントロールしようなどとは思いませんが、でも、早すぎる結蕾は自分の栽培方法の拙さによるのかもしれない(バラが自らの力で成長しようとするのを邪魔したくない)という思いや、自分はバラの生理をほとんど知らないのだという事実は残ります。栽培者の私に何かできることがあるとすれば、唐杉さんを見習って、緻密な観察と記録でしょうか。いや、その前にまずバラを不自然な環境に置かないことか。「遺伝子が壊れてる」ではなく、「壊してしまった」のは自分:p