このブログについて


バラの栽培についての考え方や方法は多様です。その多様性こそが、バラが文化として豊かであることの証左なのでしょう。
"答え"は一つではないとすれば、バラ栽培の楽しさは、"自分のバラの世界を見つけ出す" その過程にあると思っています。

このブログは試行錯誤中のバラ栽培の記録です。一部の記事はバラ仲間に私の方法を紹介するために書いたものもありますが、
「栽培ガイド」の類ではありません。バラ栽培を始めた頃に書いた記事の内容は現在の栽培方法とは異なるものも多く、
技術的にも拙くて誤謬も多々含まれていると思われます。批評的に読んでくださるようお願いします。

2021年10月28日木曜日

真理は瑣末な事象の中に

福岡バラ会を退会した。バラ栽培を続けるかどうかも含めて、ぼんやりと今後を考える中で、ふと6年前に書いたものを思い出した。2015年11月5日の記事:「師匠から学ぶこと」 それを再掲載して今後を考えるヒントにしたい。書きながら考え、読み返しては書き直すことを繰り返すので、論旨は滅茶苦茶で、結論がどうなるのかもマジ不明。

なお、引用文中の「小林先生」とは、北九州市のグリーンパークバラ園・技術顧問の小林博司先生(写真)のこと。

グリーンパークバラ園・技術顧問の小林博司先生
 グリーンパークバラ園にて 2014年11月

真理は瑣末な事象の中にある

1 「ユニーク」であることが高く評価される世界

私が写真学生だった頃、その勉強は撮影や現像処理など写真技術の実習と、写真理論(化学・光学)や写真史、表現論などの講義が並行して進められました。中でも重要なのは、自分の作品を作りそれを先生や仲間に批評してもらうことです。そのようにして技術の習得と同時に思考や感性を鍛えながら、自分の世界観や表現方法を確かなものにすることを目指していきます。それらはいずれもユニークであることが高く評価され、この写真学校からは気鋭の若手写真家の登竜門である「木村伊兵衛賞」やベルリン映画祭のドキュメンタリー部門で受賞するなど、優れた映像作家が輩出します。

2 「定型」から入る世界

卒業して10年後、私はある文化教室で写真の講座を担当していたのですが、そのとき隣の部屋で「生け花教室」が開かれていました。ひとつの生け花に何時間もかける様子を垣間見て『これは自分の眼を鍛える良い方法かも』と思い、その教室に入門しました。

その流派は伝統と格式があり指導方法も確立しています。そこでの「お稽古」は私にとっては写真学校とはまるで違う意外なものでした。与えられた花材と花器で、決められたとおりにしなければなりません。「自分なりに」という個性の余地のまったくない、まさに「お稽古」です。これは私にはおもしろくない苦行で、それでも2年近くは続けたでしょうか、ついに我慢できなくなって花鋏をカメラに持ち替えました。以来その流派の作品を今も撮り続けていますが、私と同じ頃に入門したお嬢さんたちは、数十年後の今はすばらしい作品を作る華道家になり、多くのお弟子さんを指導してあります。

日本の伝統文化の中には「道」という言葉がつくものが幾つかあります。生け花は「華道」ですし、その他にも「茶道」や「仏道」あるいは「柔道」というのもありますね。これらに共通するのは「学びは、型から入る」ということです。「長期間お稽古や修練を続ければ自ずとある境地に達する」という考えでしょう。バラの栽培は?「園芸」という言葉はあるけど「道」とは言いませんね。

小林先生は「バラの栽培は楽しく。楽しくなければやる意味が無いよ」とは言われても、それ以外は栽培技術に関する話と実習で、「観念論」めいたことは口にされません。

講座の最初に先生はこう言われました。

バラの栽培方法についてはいろんな考え方があり、ガイドブックの類もたくさんあるけど、このGPバラ園のようにバラを咲かせたいと思ったら、これから講座で私が話すようにやってみてください。

これは「型から入る」ということです。多くの受講者のみなさんにとってそれは苦行ではないし、むしろ楽しくてしかたがないというのは、なぜでしょう?

「定型」の中の自由な精神世界

「定型から入る世界は没個性で非創造的、面白くない苦行」と当時の私には感じられたが、でもそれは正しくない。

初心者が与えられた花材と花器で定められたように花を活けるとしても、そこにキラリと輝く作品が生まれることがあるのも事実。また生花には「格花(かくばな)」 =「お生花(おせいか)」と呼ばれるジャンルもあり、これには厳格な約束事があってそれから逸脱することは許されないのだが、研鑽を重ねた作者が活ける「格花」には、植物の命が際立ち、その背後に作者の個性とその世界観が見える。それに触れると思わずこちらの背筋がシャンとなるような "柔らかな、清々しい緊張感" がある。「定型」そのものと思えるものにも、その中には自由な精神世界が広がっているのだ。

さらに言えば、優れた表現からは作者の存在が消え、花そのものだけが見える。それを「美」と言ってもいいし、「真理」あるいは10/20の記事で触れた 池坊専好(初代)のように「ほとけ」と呼ぶこともできる。

バラの栽培を学ぶこと、特にコンペティション・ローズ(競技バラ)の場合は、この「定型から入る世界」だろうと思う。「出品規定」があり、審査も同じような基準で行われる。

どうだろう、バラのコンテスト会場に並んだ花の中に、作者の精神世界、あるいはそれを超越した「ほとけ」が見えるだろうか。

バラのコンテストは『ゲーム』なの?

福岡バラ会に入ったばかりの6年前の秋、先輩のFさんやEさんに対し、「コンテストはつまるところ、バラの栽培技術の優劣を競う "ゲーム" なんじゃないですか?」と質問したことがある。言外に、『そんなものはつまらない』というニュアンスをモロに出しながら。身の程知らずの、実に生意気な新入会員だった(笑)。

その後5年間、 コンペティション・ローズの栽培に熱中してきたが、私は「栽培技術の優劣を競う "ゲーム"」というレベルを超えることができないまま、ついに "Game Over" になってしまった。正確に言えば、自分で幕を引いた。

「この花でももの足りない バラ作り50年の試行錯誤」を読む

この本は、石橋 五夫、伊加利 勝唔、矢澤 實 の3氏による共著(2016年 ファイン ローゼズ発行)

お三方ともこの世界で素晴らしい実績のある、いわゆる"大御所"。タイトルの「この花でも」という部分に、これまでやってこられた栽培の実績や、その自信の程が窺える。その方々が「この花でももの足りない」と思われているということに、少なからず驚かされた。

なぜ『もの足りない』と思われるのか、何を目指そうとしてあるのか、何度か読み直したけれど、残念ながら私にはその片鱗すらもわからなかった。私が想像できたのは、この世界が既に完結した過去のものではないということと、そして、もしかしたらそれは教えてもらうことではなく、自分で探すことなんじゃないかということ。

この本のP79「終わりに」で、伊加利さんが次のように書かれている。

ここに書かれたことを一から十まで実行なさっても、あなたの花は諸先輩と同じか、ひとまわり小さい程度にしか咲きません。先輩の言を常に批判的に摂取し、ご自身の庭で試してみて、その成果をご自身の目で確かめる、そして、そこに何かを加えてゆく、そこにバラづくりの進歩があります。このような工夫と努力を重ねた方が、次の会長杯を手になさることでしょう。

そうなんだろうな、伊加利さんのご意見は正論と思う。この文章の初出は30数年前の日本ばら会の会報「ばらだより」。その後の日本ばら会は伊加利さんが期待されたように「進歩」したのだろうか、どうなんだろう。

『バラはやっぱりガーデンローズ』

このお三方と同様にこの世界で "大御所" とされる別の方(お名前は伏せる)からは、意外な話を聞いたことがある。

大きな二つの花瓶に、競技花のHTとフロリバンダやシュラブ(いわゆるガーデンローズ)を分けて、それぞれ盛り沢山に生けてあって、どちらも素晴らしいバラ。栽培者は未確認だが、HTはご本人で、ガーデンローズはお弟子さんかも。その二つを見比べながら曰く、『バラはやっぱりこっちだよね』

どちらを選ばれたと思います?

選ばれた方は目に染み入るような美しさだった。今思い返せば、その瞬間に私の中で微妙にスイッチが切り替わったような気がする。その時は意識できなかったけど、それからは「ミニチュア盛り花」や「デコレーション」の部門にも出品するようになった。


真夏のハウスで水やりを続けたことも、これが "ゲーム" であるならば、虚しい結果に終わってしまったことになる。「バラのコンテストは、単に栽培技術の優劣を競うゲームではない」と信じたいが、では何を目指しているのか?

いや、これはコンテスト自体や他の栽培者のことではなく、自分の問題。福岡バラ会での6年という時間を経て、「バラを栽培することに何を求めているのか」という原点に再び舞い戻ってしまった。

3「真理」は既にそこにある

昔読んだ「禅」に関する本に、次のような話がありました。
厳しい修行をする禅寺で、多くの修行僧に供する食事のために野菜を育てている人がいました。その人も僧なのですが、下肥を汲んで肥料にするのも彼の役割です。その僧が何を考えていたのかはわかりませんが、文章の前後から、「他の修行僧のために」とか「これが修行だから」というようなことではなさそうです。その禅寺で一番偉い僧が、野菜を育てている僧を「あの方も立派な禅者」と、若い修行僧を諭します。

私は思うのですが、バラ栽培の本質、美、真理 あるいは 悟り、言葉は何でもいいけれど、小林流に言えば
「バラ栽培の楽しさ」は、長期間の「お稽古」や「修行」をしなければ得られないものではなく、野菜を育てているこの僧のように、今の私の 日々の小さな出来事や作業の中に既にある のではないか。

「学ぶということはそれに気づくこと」だとしたら。。

『バラの栽培は楽しく。楽しくなければやる意味が無いよ』

 小林博司先生 グリーンパークバラ園 2015年8月


2021年10月25日月曜日

"魅惑" のお尻

24日にばら展会場に来られた宇部ばら会の岡原さん曰く『福島さんの魅惑は、一眼見て脱帽』

この「魅惑」は、23日の九州ばら懇話会主催の「九州ばら祭り」に寄せられた熊本ばら会のHT盛り花の一部。
栽培者は福島康宏氏。

会場で、福島先生が直接手を入れて「ドレッシング」の重要さを解説。

『バラのヒップを見せることがポイントです』

"ヒップ" と言う表現に福島先生を囲む女性メンバーからクスっと笑い声も聞こえたが、なるほど、納得。奥に見える花と比べればその効果の程がわかる。

しかしその場では、岡原さんのように『一眼見て脱帽』というほどには、私はその良さがわからなかった。

  福島先生の "魅惑" 撮影:10/24(生け込み翌日)
 私の "魅惑" 撮影:10/17

写真・上右は10/17に撮影した私の "魅惑"。このように並べて比較すれば違いがわかる。福島先生の奥側の "魅惑" はドレッシングされておらず、その外形は私のものとほぼ同じように見えるが、違いがあるのは;

  1. まず「花芯」。私のはまだ外花弁が降りていないにもかかわらず「芯」がぼやけて崩れ始めているのに対し、福島先生の花は外弁を意図的に拡げて24時間経っても「芯」が崩れていない。

  2. 私の花は「寸胴(ズンドウ)」だが、福島先生のは「高芯」の腰からヒップに至るラインが綺麗。このラインの ”たおやかさ” は上品に艶っぽくて、汚れのない若い肌のような弁質と相まってバラの持つ美しさのひとつだ。これはHTハイブリッド ティ・ローズならではのもの。これがHTをして「バラの女王」と言わしめるのではなかろうか。これを見せるにはドレッシングのテクが必要だが、先生はいとも簡単に。

  3. 福島先生の "魅惑" の葉の、素直に展開した美しさ。

  4. (曖昧な表現だが)花枝に内包されている「生命力」=「命の輝き」が、私のは弱い気がする。

これが私が理解できる範囲だが、このような特徴が岡原さんをして脱帽させる要因なのかな。それを私なりの言葉で言えば「抜けのいい」、あるいは「小股の切れ上がったいい女」のようなバラ。私のは胴の締りがなく野暮ったい。せっかくの薄紅も、なんか「おてもやん」みたいに見える。ごめんね。あ、いや、「おてもやん」は生命力に溢れた女性か。"野暮” とは違うよね。

私の "魅惑" の野暮さは「過肥」または「施肥タイミングの悪さ」が原因だろうと思うが、その具体的な解決策は?

私は鉢植えだが、福島先生も岡原さんも地植え。岡原さんから『なぜ地植えにしないの?』と尋ねられ、さしたる根拠も無いので返答に窮した。

鉢植えは肥料分が流亡するので肥培管理が難しい。しかも、私はどうしても「過肥」になる悪癖がある。もし今後もコンペティション・ローズを栽培するなら地植えにするかも。岡原さんの株は数十本もステムが上がるのだそうだ。 「地植えだから肥培管理が簡単」と言うのではない。たぶん福島先生も岡原さんも、それぞれに工夫された方法があるのだろう。

福島先生は「焼酎粕」を使用されていて、私も勧められて地植えに10袋ほど使用したことはあるが、いい加減なテスト栽培だったし、その効果はよくわからなかった。いや正確に書けば、特に効果があるようには思えなかった。何かを見逃していたか、あるいは「肥効」についての私の認識がずれていたのかもしれない。

「肥料」じゃないよ「葉」だよ

反省的に思うのだが、秋に佳花を咲かせるには開花枝そのものではなく、その下の段、あるいはさらに下の段も含めて、「葉」がポイント。それが落葉したりなんらかの理由で活性が弱いと、秋の剪定後に「肥料」でカバーしようとしても無理。これの失敗実例の記録写真があるので、後日別ページで。

良い葉を確保するための福島先生の方法は「切戻し剪定」。

切戻し剪定

「切戻し剪定」については「boketanの恋華日和」の「新苗で秋に勝負 5・6月」 で詳しく紹介されている。この方法は、唐杉さんなど当時の福岡バラ会の意欲的な栽培者たちが開発した方法なのだそうだが、福島先生も「切戻し剪定」で秋に花を咲かせてあることを、今回あらためて先生から聞いた。

福岡バラ会の会報「ローズ・ふくおか」のアーカイブスにも「切戻し剪定」についての文章が残っている。
「ばら格言 A&O」/大原 万作 このページの「博多仁和加(にわか)」の掛合いがおもしろい。曰く;

古い格言: 「夏ばらの葉一枚は血の一滴!!」

平成の格言:「秋ばらは7月に剪定せよ!!」

なるほど。秋の花の美しいヒップを作るのは「夏ばら(8月)の葉」なんだ。そして「8月の葉」のために7月に「切戻し剪定」をするのか。 ーーと私は理解。
これは、黒点病被害株を救済するための剪定方法なんかではなく、秋の花のための積極的な管理方法なんだ。


福岡バラ会で「切戻し剪定」をしているのは、私の知る範囲ではFさんお一人。私も試みたことはあるが、「切戻し剪定は、黒点病などで6月に葉を落とした株の剪定方法」との先入観があった。今回、黒点病などまず発生することのない福島先生が実行されているのを知り、「眼から鱗」状態。

「ばら格言 A&O」に登場する唐杉さんは、私が福岡バラ会に入会した時は既に会員ではなかったが、今もご活躍なんだそうで、年に1回は個人で「ばら展」を開催されているのだとか(伝聞)。次の機会にはお目にかかってバラを拝見したいし、お話も聞かせていただけたらと願っている。

備考:
唐杉さんが書かれた文章が4編ほど、福岡バラ会の会報 「ローズ・ふくおか」のアーカイブス に掲載されている。
また、2001年の日本ばら会の会報「ばらだより」には「ばらと遊ぶ12ヶ月」という連載があり、唐杉さんの栽培の紹介の他に、福島康宏氏など往時の「九州ばら研究会」の活躍も記されている。



2021年10月24日日曜日

ばら展最終日 Game Over, それとも


岡原悦雄さん(宇部ばら会)のバラ

今日のばら展最終日には、宇部ばら会の岡原さんがたくさんの愛培花をご持参され、会場内がさらに華やかになりました。ありがとうございました。  生花:(福岡バラ会)丸林 律子 森 律子

岡原さんのバラは、ばら展終了後には福岡市役所に運ばれ、さらに多くの人の目を楽しませることになります。

福岡バラ会のメンバーも岡原さんのバラに眼を瞠り大いに感心したようでしたが、私も岡原さんの素晴らしいバラを拝見できて、さらにその栽培のお話を聞けたことも貴重な経験でした。

岡原さんや福島先生(熊本ばら会)など優れた栽培者のお話を聞くたびに思うのですが、『バラの栽培は、教科書で語られる方法に拘らず自由に発想していいのだ、それを実際に試みて、そこから得る経験が貴重なんだ』と。

岡原さんの栽培方法については、できることならこれから多くのことを具体的に学ばせて頂きたいと思っています。優しいお人柄で、「選外」になってしまった私のバラを『花はとてもいいですよ』と励ましていただいて、ちょっと救われた気分でした。


重要なことをいくつも学んだばら展最終日。出品した「日本作出一花」のコンテストは惨敗。苦い経験に終わったが、少し時間が経つと心の濁りが澄んできたような気も。でも今はすべてが  "Let it be."

さて、思いつくままに3日間の出品花や今年の栽培について自己批評(今年の栽培の反省)を始めよう。
まず、以前からの予定どおり今日をもって福岡バラ会を退会した。なので、「次回のコンテストは・・」ではなくて「今後バラとの関わりをどうするか」という視点から考えてみたい。先のことは手探り状態なので、追記を重ねながら少しずつ書き進めていく。

審査員の眼は甘くない

「残り花」では

これまで書いてきたように、今秋のバラはコンテスト以前にほぼ咲き終えてしまった。出品したバラたちはいわゆる残り花で、この "ホット神崎" がその典型。

 "ホット神崎" at 10:23
 日本作出一花 「入賞外」 "ホット神崎" at 13:52

左は10月15日に咲いた "ホット神崎"。これが私の花だ。

*花色の違いは、撮影場所の光源の影響

なぜ納得いかない花を出品したのか。それは、出品花が無くコンテストに参加できないのが「寂しい」から。

言うまでもなくコンテストに出品するのは「賞狙い」ではない。コンテストに参加すること自体が楽しいのだ。

出品したバラもコンテストでは見劣りすることはわかっていて、朝の水場でバラ友に『今日はドレッシングのやり方を勉強して、人賞狙いね』と冗談ぽく言えること、つまり出品できること自体が嬉しかった。

"残り花" はいわば うらなり(末成り) 状態で、ステムが短くて勢いがなく、葉色も良くない。

その真逆の好例が昨日紹介した福島先生の "あけぼの"。両花を見比べると「育ちの違い」が一目瞭然。きちんと花を見せる写真ではないのが残念だが、花や葉が素直に生き生きと展開しているのはわかる。

恩師の 最後のお諭し

出品花を準備しているバックヤードの水場に審査委員長の小林 彰先生がお見えになって、出品花を "ホット神崎" ではなく予備に持参していた "ロージー クリスタル" に変更するようにとアドバイスがあった。私は迷いつつもどうも納得がいかず、"ホット神崎" を出品した。

小林彰先生は、私が卒業した高校の恩師。直接担任していただいたのではないが、もしそうだったとしたら、60年後の今でもとても顔向けできないほど反抗的で、成績劣悪で素行不良だった私。とうとう最後まで先生の言うことを聞かない生徒で終わってしまった。

私はHTローズ栽培の基礎を小林先生から教えていただいたのだけれど、『このようなレベルではとても "卒業" させることはできない』とでもお考えになったのか、退会を考え直すよう強く勧められた。ありがたいことだ。

これまで指導していただいたご恩に対しては、先生の「月々の手入れ」を編集し刊行したこと、それをウェブ・コンテンツとしてページ化 したことで、幾分なりともお返しができたのではと思っている。先生の著作を最も熱心に読んだのは(理解の程度は別として)私だろうという自負はあるが、先生への最大のご恩返しは、『良いバラが咲きましたね』と言っていただけるような花を咲かせることなんだろうけど。。

花の形に拘ってはいけない

小林 彰先生はどちらかと言うと寡黙な指導者。予備の "ロージー クリスタル" が良かったわけでもないのに、変更するようにとのアドバイスは、何を仰りたかったのだろう。

今考えれば、これは "ホット神崎" の花の形だけを見て出品しようとしている私へのお諭しだったのかも。

花の形にこだわってはいけないということは、尊敬する華道家・真生流の 故・副田 翠峰先生からも教えていただいたことがある。

2014年11月9日の記事:「私のバラは微笑んでいるか

かたちに拘ってはいけない。花を生けるために自然の中で育っている草花を切ってくるのだから、
その切られた草花が作品になった今も生きているか、どうか。それが重要なんです。

命の輝きを

前述の小林先生の「月々の手入れ」には、「命の輝き」などという観念的な言葉はいっさい登場しない。HTローズ、それもコンテストに出品することを多分に意識したバラの栽培方法について書かれている。印刷物やウェブページの編集を進めながら、それが不満に思えることもあった。

でも、観念的なものを排し「かたち」にこだわることも、「美しさ=真理」に到達するひとつの方法なのであろう。その文章の行間から何を読みとるかは、こちら側の問題なのだ。

バラ会に所属し、そのコンテストの審査基準に沿って栽培するのではなく、ひとりで「美しさ」を追い求めることは途方もなく難しいことのように思える。しかし、バラの世界は広い。バラの美しさは多様だ。

2021年10月23日土曜日

ばら展 二日目 九州ばら懇話会 コンテスト

今日は、九州ばら懇話会主催の「九州ばら祭り」開催日。そのコンテストの「一花」と「二花」の2部門に出品。
結果はいずれも三等賞

『実力相応』というか、一等賞二等賞のお二人をはじめ、出品者はベテランなので、新参者の私にとってはこれでもラッキーなのだが、この結果を "不甲斐ない" と悔しく思っているのが正直な心境。悔しいのは"審査結果の順位"ではなく、自分の未熟さ。諸々の反省点はコンテスト終了後にまとめて。

 九州ばら懇話会 一花 「三等賞」  "あけぼの"
 九州ばら懇話会 二花 「三等賞」  "カノープス"

二花部門で三等賞を受賞した "カノープス"は、「相対評価」の結果でたまたま三等賞になっただけなので、写真は掲載しない。


福島康宏さんの「魅惑」

九州ばら懇話会主催の「九州ばら祭り」では、熊本ばら会、佐世保ばら会。佐賀ばら会から寄せられたバラが展示された。写真(翌24日に撮影)は、熊本ばら会のHT盛り花の一部。栽培者は福島康宏氏。

10/25 追記:
24日にばら展会場に来られた宇部バラ会の岡原さん曰く;

『福島さんの魅惑は、一眼見て脱帽』

う〜ん、そうなのか。
(自分の見る眼の無さをあらためて自覚)

写真にはこの「魅惑」の良さが写っていないかも。葉の美しさや、花の「ヌケ」の良さは私にも少しはわかるのだが。


会場で、熊本ばら会の佐藤会長に挨拶することができ、福島康宏先生からも「バラのヒップを見せる」ことや「切戻し剪定」など貴重なお話を伺うことができたし、私の出品花「あけぼの」の花色(特に黄色)の良さを認めていただいて嬉しかった。

明日はいよいよ最終日。「日本作出一花」と「五花」の2部門に出品できるのだが、私にとっては最後のコンテストになるかもしれないのに、残念ながら「五花」に出す花が揃わない。「日本作出一花」も出品できるのは "残り花"。

受賞して嬉しい人、悔しい思いをしている人、様々だろうが、私は明日もまた悔しい思いをさせられるだろう(笑)

追記:

この記事を書いた後、家族で夕食。中2の孫娘から今日の結果を聞かれ『三等賞だったので、悔しい』と答えると、 孫娘曰く『"三等賞"がいいのよ。だって一等賞を目指してこれからも頑張れるでしょ』



2021年10月22日金曜日

ばら展 初日

福岡バラ会の「第189回 秋のばら展」初日。コンテストは4部門に出品。

出瓶作品

 ミニチュア盛り花 「特別賞」
"ピンククラフト"+"須恵姫"
.
 デコレーション 「二等賞」
"とつけむにゃあ"+"ベルベット トワイライト"+
"パーマネント ウエーブ"
 3部一花 「人賞」
"フロージン'82"
 3部三花 福岡市議会議長杯「天賞」
"あけぼの"+"C. ディオール"

気のおけないバラ仲間といろいろ語り合えるばら展は楽しかったが、少し疲れた。夕刻早めに退出させてもらって明日の出品花の検討。ほんとに「残り花」の中から選ぶしかなく、あれこれ迷って苦しいが、この時間はバラを見る目を鍛える機会になる。今日の出品花についての自己批評は後日あらためて。

明日は「九州ばら祭り」(九州ばら懇話会主催)。熊本ばら会などから強者たちがたくさんのバラを持って集うはず。とても楽しみ。

今日の満開5花。累計268。



2021年10月21日木曜日

『宿る命の美しさ』を

ばら展の前日に満開になってしまったバラたちは9花。累計263。

夕刻、ばら展会場の準備。
会場で聞いた範囲では、この秋のみなさんのバラは、やはりかなり早く咲いてしまったようだ。夏花で小さく、色も出なかったとの声が多かった。

夜は、コンテストに出品するミニチュア盛り花部門とデコレーション部門の下準備を兼ねて試作をした。

『宿る命の美しさ』を少しは引き出せる作品になるよう心がけた。生き生きと微笑んでいる花たちに感動して、思わず拍手をした。

HT(ハイブリッド ティ)部門の出品花は、明日の早朝に実際の花を見て(花の声を聞いて)決める。アメダスの11:30pmの気温は、最寄りの観測地点「博多」で16.4°C。私の畑はたぶんそれより幾分低いはず。この気温で、花の開き具合はどうなるか。

コンテストに参加し始めた頃は、開き気味の花は農業用冷蔵庫に入れたり、逆の場合はお風呂に入れたりしたこともあったが、今は達観して?バラに任せるのがいいと思っている。明日の朝、バラたちはどんな表情を見せてくれるだろう。



2021年10月20日水曜日

本命がパンク

ばら展(コンテスト)まであと2日。『これが本命だろう』と思っていた "フロージン'82"。昨日は『寒いし、開花が遅れそうなので加温が必要かな?』と思っていたのだが、なんと今日の正午には一気に見頃になってしまった。
昼間のハウス内の気温は24°Cを超えることはなかったが、『咲くべきときには咲くんだな』と、へんに感心した。

今日の満開9花。累計259。

本命がパンクして気落ちしてしまった。昨日3時間も草刈り機を振り回してセイタカアワダチソウやハギと格闘した疲れも残っていて、午後に予定していた出品するための下準備もせずにダウン。

ばら展のコンテストのHT以外の部門(ミニチュア盛り花とデコレーション)に出品を予定しているバラの構成案を、妻に相談に乗ってもらいながらあれこれ考えた。デコレーション部門の花器は早くから決めていたけど、バラは散々悩んだすえに、メインは福島康宏先生作出のFL品種になりそう。

どのようなものになるか、「花を活ける」技術がないので不安もあるが、楽しみでもある。それにつけても;

映画「花戦さ」での 池坊専好(初代)の言葉(映画の中の"セリフ"/原作:鬼塚忠 脚本: 森下佳子);

「花の中にはほとけがいてはる。宿る命の美しさを、生きとし生けるものの切なる営みを、伝える力がある」

私はこれを感じ取る感性が脆弱みたいだと以前から思っていたが、出品できそうなバラやその構成を考えながら、『最初から "出品ありき" や、まず花器を決めるというのは違うんじゃないか?』と自問。そうだよな。

でも、それを学ぶのは今からでも遅くはないだろう。



2021年10月19日火曜日

"あけぼの” が咲いたよ

今日の満開13花。累計250花。残り20ほど。残り花でコンテストに出品するのか?(笑)

 あけぼの
 衣通姫
 エレガント レディ
 手児奈
 ロージー クリスタル


2021年10月18日月曜日

秋の日

昨日の風もおさまり、穏やかな秋の一日。今日の満開12花。累計237。
携帯プレーヤーの充電をし忘れ、ハウスの中は音楽なしで、静かに時を過ごした。

 コンフィダンス
 魅惑
 手児奈
 ロイヤル ハイネス

ある意欲的なバラ栽培者の方から、嬉しいメールをいただいた。それを読みながら、自分の矮小さにあらためて思いを致す。世間は狭いが、世界は広い。



2021年10月17日日曜日

『ありがとう』と言いながら、花首を切る

北の風が強く、時雨も降る。ハウス内の気温は9:30で19.4°C。サイドのビニールを降すと、日差しがあるときは31.9°C。開口部を調節して24°C程度に。

ハウスの中が寂しくなってきた。コンテストは今週末だけど、既に「ゲームオーバー」の気分。一輪一輪のバラに『ありがとう』と言いながら花首を切った。自分でもなんか偽善っぽく思わなくはないけど、でも「ありがとう」は率直な気持ち。

気温の急降下による花の変化は感じない。今日の満開18花。累計225。残り僅か。

 魅惑
 イーハトーブの風

DONE:



2021年10月16日土曜日

気温 急降下

久しぶりの雨。気温も上がらず、正午の気温23.4°C。その後さらに気温が下がり、夜にはうすら寒く感じるほど。

夜は、Zoomを使って福岡バラ会のみなさんとオンライン会。みなさんは私より3〜7日遅く剪定されたので、開花はドンピシャと思いきや、私と似たような傾向=開花時期が早く、咲いても夏花で小さく、すぐにパンクするらしい。

今日の開花25。累計207花。量、質ともにピークを過ぎた感があるが、今は天候とバラに任せて、何も考えない。

 手児奈
 衣通姫
 雪まつり
 ユートピア


2021年10月15日金曜日

真理は美しい

ハウス内の今朝の最低気温は18.1°C。気のせいか、花が幾分秋めいてきたようだ。

「花の中に御坐す(おわします)ほとけ」

映画「花戦さ」で、野村萬斎が演じた池坊専好(初代)のセリフ(原作:鬼塚忠 脚本: 森下佳子)に、次のようなものがある。

「花の中にはほとけがいてはる。宿る命の美しさを、生きとし生けるものの切なる営みを、伝える力がある」

「花の中にはほとけがいてはる」というのは、直観的に『そうだ』と思う。この「花の中に御坐す ほとけ」に出逢いたくて、私はバラを栽培しているみたいだ。

「ほとけ」を別の言葉に置き換えれば「真理」。


 クリスチャン ディオール
 ミスター コジマ
 カノープス
 ユートピア
 手児奈
 コンフィダンス
 衣通姫
 ホット神崎

ほとけ 神の数式 真理は美しい

神の数式

もし神がこの全宇宙を作ったのだとしたら、あらゆる事象を実現できるその設計図はいったいどのようなものか。
それは一つの数式で表すことができ、そして完璧な美しさがあるに違いない。

・・と物理学者たちは考えるのだそうだ。美の基準は「対称性」なんだとか。最も有名で、美しいとされる数式は;

E = mc²(エネルギー E = 質量 m × 光速 c の2乗) アインシュタイン「特殊相対性理論」 1907年

なんのことやら、なぜ光速の2乗が定数として出てくるのか私にはイメージすることもできないが、「神の設計図」をバラの場合で考えてみる。

①  バラの花弁

「花弁は137.5°の角度で展開する」というのは本当か。このスケッチ(作図 by そら)は実際の花弁を調べたもの。2の花弁は1の花弁からほぼ137°の角度で展開し、3は2から137°の位置に。以下同様。 この137.5°という角度は「フィボナッチ数列・黄金角」と関係するのだそうだ。

参照:岐阜県教育委員会教育研修課|「自然界と黄金比について」 このページは具体的でわかりやすい。必見。

花弁と花弁の角度は、どの花弁を基準にしても137.5°。これは花弁だけではなく、幹の周囲から枝が出る角度(芽とその上下の芽の角度)も同じ137.5°。「神の数式」的には、これを「回転対称性」というらしい。

もう少し大きなスケールで、全生物に共通な「対称性」もある。「共通している」というのが「対称性」。

② 花の色とセントラルドグマ

例えば花の色。色を表現する色素タンパク質の遺伝情報は DNA に記録されている。

以下: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より部分引用;

遺伝情報は DNA →(転写)→ mRNA →(翻訳)→ tRNA + アミノ酸 → タンパク質 の順に伝達される。
この、DNAからタンパク質が出来る流れの概念がセントラルドグマ。以下は真核生物におけるセントラルドグマの過程。

まず、転写因子とRNAポリメラーゼIIの働きにより、DNAの遺伝情報はmRNAに転写される。次に、mRNAが核膜の孔を通って核から細胞質基質に出ると、細胞質基質中のリボソームに結合する。リボソームにおいては、アミノ酸を運んできたtRNAが、mRNAの3つずつの塩基配列(コドン)に対応して結合し、運ばれてきたアミノ酸が繋がってペプチド(タンパク質)を作る。RNAからタンパク質を作ることを翻訳と呼ぶ。

このセントラルドグマは、細菌からヒトまで、原核生物・真核生物の両方に共通する 基本原理。

この基本原理が「神の設計図」。私はこのような自然の営み=「神の数式」を "美しい" と思うのだけど、いかが?

「宿る命の美しさ、生きとし生けるものの切なる営み」と「神の数式」は別次元のことのように見えるが、それらは 真理の美しさ の一面なのだろうと考えている。



2021年10月14日木曜日

『花の中に御坐す』という「ほとけ」 未だ拝めず

 ミスター コジマ
 コンフィダンス

今朝パンクしたのは46花。累計157。笑ってはいられないヤバイ状況で、コンテストにタイミングが合いそうな蕾を数えてみたら、約30。う〜ん。

この期に及んで、剪定が早過ぎたのを悔やんだり、ジタバタしてもしかたがない。「ま、例年こんなものだろう」と自分に言い聞かせて、黙々と(鬱々と/笑)昨日と同じ作業をした。

DONE:

  • 「施肥」はこれまでより上手くいったと思っていたが、やはり過剰傾向にあるのは否めない。

    気品のある花を咲かせるには「過肥」は禁物だが、今秋はなぜか品種によって肥効の差が大きかった。

  • 鉢の回転・移動
    部分遮光用の半透明白のビニール傘をセット(写真:上)。
    遮光ネットと合わせると二重の遮光で、どちらも可動式。「袋がけ」が苦手なのでパラソルだが、効果は気休め程度かも。

  • 出品する可能性があるステムの曲がりを支柱や添木で修正。

  • 畑の草切り
    刈払い機でセイタカアワダチソウのジャングルに果敢に切り込んだが、茎は既に木化していて絡み合い、手強い。途中であえなく返り討ち。

    柔らかい青草のうちに切れば苦労しなくて済むのに、毎年同じことを繰り返している。


2021年10月13日水曜日

秋の風

昨日の午後から風が変わって、気持ちのいい秋風が吹き始めた。

雪まつり
 雪まつり
ジェミニ
 ジェミニ
ユートピア
 ユートピア
魅惑
 魅惑

福岡も数日後にはやっとこの季節らしい気温になりそうだ。
データを見れば、この1週間がかなり高温に推移したことがわかる。どおりで速いテンポで開花が進むはずだ。
・・と、早すぎる開花を気温のせいにしておこう(笑)

山間部にある私の畑は、福岡市内にある気象台よりも最低気温が2〜3度低い。気温の低下が楽しみ。


DONE:

  • 摘花 14  累計で111花になった。22日から3日間のばら展に開花のタイミングが合うのは30花程度か。
    佳花率はその1/3程度とすれば10花。昨日「本当に良い花が咲くものは、蕾のうちからその雰囲気を持っている」と書いたが、逆に、今は目立たない蕾から綺麗な花が咲くこともある。

  • 鉢の回転・移動 花が終わった鉢をハウス外へ搬出(累計15鉢)
    鉢を搬出したので作業がやりやすくなった。赤花系品種(クリスチャン・ディオール、手児奈、ロージークリスタル)と、微妙な発色のコントロールが必要な「あけぼの」や「コルデス ・パーフェクタ」を、遮光がしやすいハウス中央部へ移動し、部分遮光用の半透明白のビニール傘を準備。

  • 出品する可能性があるステムの曲がりを支柱や添木で修正
    花首が伸びてきたらステムの曲がりが目立ち始めた。珪酸の不足=細胞壁が弱いのが原因とは思えない。EC(電気伝導度)やPF(土壌水分)の変動幅は小さいはずなんだけど、なぜ曲がるのかな?
    ステムがクネっている「衣通姫」は修正することを断念。『曲がっててもいいじゃないか』と居直り。

  • 畑の除草・草切り
    このところ草刈機をブンブン回しているが、進捗はまだ20%程度。ばら展が終わったら、集中して畑の整備を進めたいと思っているのだが。。


2021年10月12日火曜日

ひとりバラ祭り

今日午前中に満開になったバラたちは47本。累計97本。1/3以上の花が終わってしまった。コンテストより前に咲く花を100本と見積もったのはわずか2日前のこと。このまま開花が続くと10日後には恐ろしいことになりそうだが、 仕方がないので「ひとりバラ祭り」としよう。

雪まつり
 雪まつり
ジェミニ
 ジェミニ
ホット神崎
 ホット神崎
カノープス
 カノープス

「雪まつり」以外の写真はiPhone6sでの撮影だが、夕刻の光の中で色がズレている。

これらの花にはまだどことなく「夏バラ」の雰囲気がある。サイズが小さいし、その割には締まった感じがしない。
午前中は南風でとても蒸し暑かったが、午後から北寄りの風に変わって大気が入れ替わった感じ。気温が下がるのを期待したい。

コンテストに出品するのを諦めたわけではない。『あ、この子はもしかしたら・・』という感じのものも少しはある。コンテストは6年の経験しかないが、不思議なもので、入賞する花は蕾のうちからその雰囲気を持っている。
受賞は「相対評価」なので正確に言えば、「本当に良い花が咲くものは、蕾のうちからその雰囲気を持っている」ということ。つまりは「バランス」なのかなと思う。


花首がカクンと曲がるのはなぜ?

萎れているのでも傷ついているのでもないのに、花首が "固く" 曲がるのはなぜだろう?

2%ほどの花がこのように曲がる。このようになったものは、曲がった内側の細胞壁が固着したみたいな感じで、軸も円形ではなく左写真のように「方形」。これは無理すれば折れるし、添木では修正できない。

  • 私だけに起きる現象ではない
  • 花首が細くて弱い品種の曲がりとは症状が違う
  • HT以外では見た記憶がない
  • こうなりやすい品種とならない品種がある
    なりやすい品種:
    エレガントレディ、ジェミニ、あけぼの、魅惑etc.
  • 1株全ての花首が一律に曲がるわけではない

細胞壁を強くする働きのある「ケイ酸」を、珪酸塩白土やケイ酸カリの形で予防的に施肥したが、効果はない。


DONE:

  • 昨夕の散布の影響をチェックしたが、異常なし
  • ケイ酸カリ、鉄力アクアF10(二化鉄など)を一部の株の灌水に混入
    薬剤散布も施肥もこれが最終で、あとは徐々に灌水量を減らしながら、開花を見守る
  • 摘花47本。花が咲き終わった株(8鉢)をハウスから搬出。外のほうが気持ち良さそうだ
  • 赤花品種の日焼けは現時点では発生していないので、遮光はとりあえず不要
  • ハウス床面のモップ掛け(ハウス内の土埃を少しでも減らす・・つもり。『綺麗なバラが咲いてほしい』という、いじらしくも健気な心がけ・・なのか?)

モップ掛けの作業中にカマキリを3匹見かけた。1匹は産卵後で、バラの花首にカマキリの卵(卵鞘)が。
この夏は数匹のカマキリがハウスの中に住んでいた。ハウスは防虫ネットを張っているので、『エサになる虫なんかいないだろ?』と思ったが、見かけるたびに少しずつ大きくなっていた。何を食べていたんだ?