岡原悦雄さん(宇部ばら会)のバラ
今日のばら展最終日には、宇部ばら会の岡原さんがたくさんの愛培花をご持参され、会場内がさらに華やかになりました。ありがとうございました。 生花:(福岡バラ会)丸林 律子 森 律子
岡原さんのバラは、ばら展終了後には福岡市役所に運ばれ、さらに多くの人の目を楽しませることになります。
福岡バラ会のメンバーも岡原さんのバラに眼を瞠り大いに感心したようでしたが、私も岡原さんの素晴らしいバラを拝見できて、さらにその栽培のお話を聞けたことも貴重な経験でした。
岡原さんや福島先生(熊本ばら会)など優れた栽培者のお話を聞くたびに思うのですが、『バラの栽培は、教科書で語られる方法に拘らず自由に発想していいのだ、それを実際に試みて、そこから得る経験が貴重なんだ』と。
岡原さんの栽培方法については、できることならこれから多くのことを具体的に学ばせて頂きたいと思っています。優しいお人柄で、「選外」になってしまった私のバラを『花はとてもいいですよ』と励ましていただいて、ちょっと救われた気分でした。
重要なことをいくつも学んだばら展最終日。出品した「日本作出一花」のコンテストは惨敗。苦い経験に終わったが、少し時間が経つと心の濁りが澄んできたような気も。でも今はすべてが "Let it be."
さて、思いつくままに3日間の出品花や今年の栽培について自己批評(今年の栽培の反省)を始めよう。
まず、以前からの予定どおり今日をもって福岡バラ会を退会した。なので、「次回のコンテストは・・」ではなくて「今後バラとの関わりをどうするか」という視点から考えてみたい。先のことは手探り状態なので、追記を重ねながら少しずつ書き進めていく。
審査員の眼は甘くない
「残り花」では
これまで書いてきたように、今秋のバラはコンテスト以前にほぼ咲き終えてしまった。出品したバラたちはいわゆる残り花で、この "ホット神崎" がその典型。
左は10月15日に咲いた "ホット神崎"。これが私の花だ。
*花色の違いは、撮影場所の光源の影響
なぜ納得いかない花を出品したのか。それは、出品花が無くコンテストに参加できないのが「寂しい」から。
言うまでもなくコンテストに出品するのは「賞狙い」ではない。コンテストに参加すること自体が楽しいのだ。
出品したバラもコンテストでは見劣りすることはわかっていて、朝の水場でバラ友に『今日はドレッシングのやり方を勉強して、人賞狙いね』と冗談ぽく言えること、つまり出品できること自体が嬉しかった。
"残り花" はいわば うらなり(末成り) 状態で、ステムが短くて勢いがなく、葉色も良くない。
その真逆の好例が昨日紹介した福島先生の "あけぼの"。両花を見比べると「育ちの違い」が一目瞭然。きちんと花を見せる写真ではないのが残念だが、花や葉が素直に生き生きと展開しているのはわかる。
恩師の 最後のお諭し
出品花を準備しているバックヤードの水場に審査委員長の小林 彰先生がお見えになって、出品花を "ホット神崎" ではなく予備に持参していた "ロージー クリスタル" に変更するようにとアドバイスがあった。私は迷いつつもどうも納得がいかず、"ホット神崎" を出品した。
小林彰先生は、私が卒業した高校の恩師。直接担任していただいたのではないが、もしそうだったとしたら、60年後の今でもとても顔向けできないほど反抗的で、成績劣悪で素行不良だった私。とうとう最後まで先生の言うことを聞かない生徒で終わってしまった。
私はHTローズ栽培の基礎を小林先生から教えていただいたのだけれど、『このようなレベルではとても "卒業" させることはできない』とでもお考えになったのか、退会を考え直すよう強く勧められた。ありがたいことだ。
これまで指導していただいたご恩に対しては、先生の「月々の手入れ」を編集し刊行したこと、それをウェブ・コンテンツとしてページ化 したことで、幾分なりともお返しができたのではと思っている。先生の著作を最も熱心に読んだのは(理解の程度は別として)私だろうという自負はあるが、先生への最大のご恩返しは、『良いバラが咲きましたね』と言っていただけるような花を咲かせることなんだろうけど。。
花の形に拘ってはいけない
小林 彰先生はどちらかと言うと寡黙な指導者。予備の "ロージー クリスタル" が良かったわけでもないのに、変更するようにとのアドバイスは、何を仰りたかったのだろう。
今考えれば、これは "ホット神崎" の花の形だけを見て出品しようとしている私へのお諭しだったのかも。
花の形にこだわってはいけないということは、尊敬する華道家・真生流の 故・副田 翠峰先生からも教えていただいたことがある。
2014年11月9日の記事:「私のバラは微笑んでいるか」
かたちに拘ってはいけない。花を生けるために自然の中で育っている草花を切ってくるのだから、
その切られた草花が作品になった今も生きているか、どうか。それが重要なんです。
命の輝きを
前述の小林先生の「月々の手入れ」には、「命の輝き」などという観念的な言葉はいっさい登場しない。HTローズ、それもコンテストに出品することを多分に意識したバラの栽培方法について書かれている。印刷物やウェブページの編集を進めながら、それが不満に思えることもあった。
でも、観念的なものを排し「かたち」にこだわることも、「美しさ=真理」に到達するひとつの方法なのであろう。その文章の行間から何を読みとるかは、こちら側の問題なのだ。
バラ会に所属し、そのコンテストの審査基準に沿って栽培するのではなく、ひとりで「美しさ」を追い求めることは途方もなく難しいことのように思える。しかし、バラの世界は広い。バラの美しさは多様だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿