そらのそらごと

そらごと とは「絵空事」のことです。地域の古老はすらごとと言いますが、要するに「嘘八百、口からでまかせ」です。『あいつはすらごとばっかり言う』という場合、すらごとを言う当人は初めはいたって本気、でも実現できなくて結局嘘になってしまうというニュアンスがあります。

この「そらのそらごと」は、すらごとを書き散らした雑文集です。このページは2011年夏から1年間のすらごとを纏めています。

そら みたか

2012年6月13日

アメリカ・バーモント州に 30年以上の年月をかけて、世界中のガーデナーが憧れるというすばらしいナチュラルガーデンを造ったターシャ・テューダーさんは『庭が簡単にできると思ったら大まちがい。最低でも12年はかかるわね』と。

バーバラと私の小さなバラ園は畑の中にあります。作り始めて1年。試行錯誤の中で、私たちがおぼろげに実現したいと思っているのは「コテージ・ガーデン」というものらしく、バラ園の他に、果樹とハーブ、そして何より野菜畑があって、季節の草花が咲いている。たくさんの種類の昆虫がいて小鳥も遊びに来る。その中を孫娘たちが走り回って‥。

というものですが、さて? 写真は今年6月6日に撮影したものです。

畑の中央部から北西方向。ここがメインのバラ園。広さは約 15M X 20M で、通路で14 の "島" に分かれています。
画面左側が畑の入り口で、数台分の駐車スペースがあり、ここには近日中に「バラ園前」というバス停ができ、そこには何時来るかわからない "ネコバス" をトトロが待っているはずです。

バラ園の中央部分。直径5M X 高さ3.5Mのドームに ツルバラを絡ませる予定です。

奥に見える水面は「大間池」。その間には水田があり、田植えの準備が進んでいます。

通路は硬い材質の木のブロックで舗装。土がむき出しの部分には宿根草などを植え付ける計画です。黒褐色のマルチングをしている所は完成部分で、マルチング資材は杉皮のバーク堆肥です。

写真上左:この周囲にはイングリッシュローズを植えています。ここに古材でベンチを作り、ERの甘い香りに包まれてぼんやりと時を過ごすのもいいかなと。

写真上右:グラウンドカバーとしてクローバを植えてみました。手前側が空いているのはここにイチゴを植えていたからです。もしバラに農薬を使いたくなっても、孫に食べさせるイチゴにかけるわけにはいきませんからね。(自分を信用していないから、絶対に農薬を使用しないための用心です/笑)

写真上:畑の入り口方向。小さくてよく見えませんが、奥左に高さ3Mあまりのスタンドがあり、ツルバラとクレマチスを絡ませています。ここには大型のテラコッタ鉢を置いてゲートの代わりにします。

写真右:デービッドさん作出の「おおすみ」。赤い蕾が開きかけています。奥のピンクのバラは別品種です。

写真上左:オールドローズの区画。数種類の宿根草をテスト栽培中。写真には写っていませんが、左奥にサーモンピンクの「タチアオイ」が咲き始めました。
写真上右:オールドローズの北側。ここにはツルバラを絡ませるための"あずまや"を建てる予定です。でも基礎工事だけで中断したまま。割り竹のフェンスにはHwich系を横に這わせます。

写真上左:メインのバラ園(これまでの写真とは逆方向)。
奥にはもうひとつの小さめなバラの花壇とトンネルがあり、バラの苗床や養成畝へと続きます。

写真右:バラの栽培品種の挿し木と実生の苗床。
奥には台木用のイバラの挿し木畝と、デービッドさんの指導で接いだ接ぎ木などの養成畝があります。

写真には写っていませんが、このほかにバーバラさんが作っている(工事中の)花壇があります。数年前にオリーブが植えられ、今年はリンゴが植えられました。
数年前に植えた果樹類は収穫が楽しめる程に育ちましたが、肝心の野菜畑は今年は余裕がなく、栽培しているのは茄子やキュウリ、トマトなど定番の夏野菜 数品種のみです。

『ガーデニングというのは garden + "ing" だ』というデービッドさんの指摘は示唆に富みます。たぶん、ガーデニングに「完成」や「終わり」というのは無いのでしょう。

だとしたら「今この時が ◯◯」と言うこともできますね。

バラ園がなかなか出来上がらないのを焦るのではなく、例えばバラ苗をじっくり育ててその成長を楽しむように、庭(畑)が少しずつ出来上がっていく過程(今この時)を楽しみたいと思っています。

・・と言いつつも、そんな私よりはるかに元気に たくましく成長する雑草をどうしましょう。孫娘たちは花摘みよりも 私の膝に座ってトラクタのハンドルを握るのが大好きで、どうも私が思い描いたようにはなりません。

2012年2月19日

そらのバラ畝の雪景色

小鳥が少ない

既に多くの人が気づいているようですが、今年はなぜか小鳥が極端に少ないようです。例年ですと、この時期には庭のクロガネモチにヒヨドリが縄張りを作っており、またシジュウカラやメジロの小さな群れが幾つも飛んで来て、枝に置いているミカンをついばんだりして目を楽しませてくれます。

小鳥が少ないことに気づいたのは、山に仕掛けられたイノシシワナの見回りに来た猟友会の人に指摘されてからです。彼らは日頃山で遊んでいる人たちですから状況の変化に敏感です。また、驚いたことに、この現象はこの辺りのことだけではなく、先日訪問した鹿児島県鹿屋市でも同様なんだそうで、梅が満開の庭を見ながら、『今年はメジロがまったくいません』と言ってありました。

「異常気象」ではないし、異常な事態があるとすればアレ。バーバラが気持ち悪がっています。

2012年1月16日

午前中2時間バラの剪定を手伝って、午後は(所用をすませた後に)スタンダード台木の挿し穂を準備する予定でしたが、小雨が降り出したので畑から撤退。自宅で薪ストーブの火を見ながらぼんやりと過ごしました。

菜園を始めた頃は天候に左右されて作業計画が遅れると焦ったりしていましたが、今は『年末に痛めた右肘が慢性にならぬよう休むのも良いかも。この雨で野菜や地中のバクテリアが喜んでいるだろう』と思えるようになりました。("バクテリア" だって。あほか/笑)

若い頃、横浜に本拠がある社会人山岳会で、主に冬山登山をやっていました。エース級のメンバーは海外遠征するような伝統ある会でしたが、新人の私はせいぜい北アルプス程度。それでも正月を挟んで2週間程度は山に入ります。でも冬は山頂にアタックできるような天候に恵まれる日は少なく、そんな日はテントの中で "沈" するか、ベースキャンプに近い所での訓練。訓練というのは、例えば「吹きさらしの尾根で雪に閉じ込められた」という想定で、一晩雪に埋もれて過ごすというようなこと。氷点下10℃以下なんですが、風を避けるビニールシート1枚あればだいじょうぶですね。もし僅かでも雪洞が掘れ、ローソクが1本あれば天国。たった1本のローソクでも暖かいもんですよ。でも、朝目が覚めたら鼻の下のヒゲはもちろん、睫毛まで着氷していますけどね。ほとんど「氷漬け」の状態で寝ていたんですね。

吹雪が吹き荒れて訓練も出来ない "沈" の日は何をしていたんだろう?もっぱら寝ていたのかな。私はNHKラジオ第2放送の気象情報を聞きながら「天気図」を作る役割があって、それで退屈さを紛らわせていたのかも。いや、退屈しのぎではありませんね。天候の判断を誤ると事故につながりますから、真剣でした。今思えば、私はその頃から「空見たか」だったんですね。

"沈" の日は食事が楽しみかもと思われそうですが、じつはこの山岳会のメニューは毎食「雑煮」。餅はカロリーが高くご飯を炊くような手間が要らず、しかも雑煮だと副食の準備、幾つもの食器など不要ですからね。鍋に雪を溶かし、それに餅と乾燥野菜と肉を放り込んで醤油で味付け。餅と乾燥野菜は秋の内に作って一斗缶に密封し、ベースキャンプ予定地の樹の上に縛り付けておきます。熊などの動物に盗まれない用心です。肉は入山時に大量に持ち込み、その辺の雪の中に転がしておきます。この雑煮が2週間続きます。美味しい博多雑煮が恋しかったな。

下山して飛騨高山の町で久しぶりに鏡を見て仰天。雪焼けと2週間ろくに顔も洗わなかった汚れで真っ黒な、眼だけギラギラした痩せ細った無精髭の異様な男が、鏡の中からこっちを見て驚いています。

冬山登山もそうですが、畑の作業が予定したようには出来ないのは、自然相手のことですから当然ですよね。過日、畑に遊びに来た幼なじみ(若いときに父親を亡くし、農業を継いでさらに牛を飼い猛烈に働いた)が、『百姓仕事が予定どおりに進むもんかい』と笑います。(おや、私のことを百姓と認めてくれるのか?嬉しいな) 『予定やらどげでちゃいいけん、今から一緒に遊びに行こう』とお誘い。どうやら田主丸の苗物屋さんに行くのに、一人では退屈だから私を誘いに来たみたいなのです。

百姓と言えば。この地区には地域の行事などを知らせる拡声装置があります。私が小学生だった頃(昭和30年代/高度成長期の前)のある時期、そのスピーカーからほぼ毎朝シューマンの「楽しき農夫」(YouTube) が流れていました。信じられます?毎朝ですよ。しかも地域全体、村中だけではなく田んぼにまで響き渡る音量で。

私はそれは嫌いじゃなかったですね。軽快で楽しそうな曲ですし。畑仕事の手伝いは楽しくはなかったけど。あれは誰が仕掛けたんだろう、しかもシューマン。なんか、『田んぼで働くみんなにエールを送るような、そんなものかな』と子ども心に思っていました。それが(好評なので調子に乗ってか)いつしかラベルの「ボレロ」(YouTube) になりました。あの長い曲をしかも全曲流そうとするんです。これも嫌いじゃなかったな。聞くたびに何か気持ちがワクワクしましたね。

でもある時、「ボレロ」が突然三波春夫の「船方さんよ」に変わりました。これはなんかイヤだったな(笑) どれくらい続いただろう、ある日これまた突然中止され、それ以降拡声器から音楽が流れることはなくなりました。

小学生の私がなぜ「楽しき農夫」という曲名を知っていたかというと、拡声装置がある場所は扉はあるものの鍵はかかってなくて、装置に興味津々の悪ガキどもは勝手に入り込んで、そこに置いてあるSP盤を眺めまわしていたからです。

「農夫」という言い方はあまり聞きませんが、「百姓」というのは言い得て妙ですね。鍬を手に土を耕すだけではありません。畑での最近の私はペンキ屋さんでもあり大工さん、左官さんでもあります。先日はエンジン発電機を準備し電動カッターでバラのアーチにする鉄骨を切りました。火花が飛び散ってまるで鉄工所みたい。しかし、これらの作業の準備が山ほどあって、計画はまた遅れます。農作業の計画は、夜パソコンに向かってするものじゃなく、畑ですべきことですね。

小さな畑とバラ園での百姓仕事はやることがいっぱい。でも「百姓」の楽しさはたぶんそのようなことではなく、自然のリズムに合わせて生きるということでしょうね。それがどういうことなのか私にはまだよくわかっていません。ほんものの百姓になれたらいいな。

トロトロと燃える薪ストーブの火を見ながら、意識もトロトロの 沈 の夜。

2012年1月4日

祖父が使っていたノミ

丹後宮津の芸者

バラ園にパーゴラを作る準備をしています。檜材で簡単な木組みをするために、必要な2本のノミを研ぎました。

大工だった祖父が使っていたノミです。倉庫の道具箱で40年ほど眠っていたものですが、さすがに本職の道具だけあって、錆も少なく握りの部分もしっかりしています。

わずかな刃こぼれがあったので中砥を使って直しました。いずれも見覚えのあるノミです。使い方の手ほどきを受けたのもこれだったような気がします。

祖父は毎朝仕事に取りかかる前にカンナやノミなどの刃物を研いでいました。何を考えながら研いでいたのか、仕事の段取りなのか。たぶん、何も考えてはいなかったのでは。ただ静かに、滑らかに、研いでいました。

私の家系は昔からこの地で百姓であったことが、お寺の過去帳や神社の管理組織、そして幾つかの分家の存在などからわかります。しかし祖父の父の時代(明治の中期)、保証人倒れになって多くの田畑を失ったそうで、祖父は大工の弟子になりました。

酒の飲めない祖父は、でも「遊び人」でもあったらしく、昭和2年の丹後大地震では仲間とともに復旧作業に行って、そこで稼いだ賃金はすべて丹後宮津の芸者に入れあげてしまい、帰りは道具箱ひとつだったという話を祖母から聞かされました。そんな話は他にもあって、祖母はまだ子どもの私に『◯◯ちゃん、女の人には気をつけるとよ』と何度も。(笑)

でも私の知る祖父は寡黙で優しい人でした。祖父の布団に潜り込んで、頬ずりされるヒゲのじょりじょりした感触を今も覚えています。


丸い切れ味の剃刀

ヒゲと言えば。 駕与丁公園のバラ園のあたりから猿渡先輩の畑があるところは、子どもの頃のフナ釣り場でした。近くに小さな床屋さんがあって、そこの◯◯さんはなぜか私をかわいがってくれ、誘われて何度も一緒にフナ釣りに行きました。あそこでは「金ブナ」が釣れたんです。普通に言う金ブナよりももっと黄色がかった色をしていました。

私が高校生になって、その◯◯さんからヒゲを剃ってもらうようになりました。革のベルトのようなものでカミソリを研いでいましたが、その刃の感触を今も覚えています。自分でヒゲを剃るときには安物の安全剃刀を使って、もちろんそれでもヒゲは剃れるのですが、刃が鋭すぎて肌まで削っているようで痛いのです。それに較べて◯◯さんの剃刀の刃は「丸い」という感触です。柔らかに撫でてもらうようで、でもヒゲはきれいに剃れています。

たしか、サマセット・モームの小説かエッセイにそんな話がありましたよね? 高校の英語の時間に聞いたと思うのですが、居眠りするかエスケープするかの不良(劣等生)だったのでよく覚えていません。

それはともかく、ほんとうに良い刃は「丸い」のだと思います。安いカッターナイフや鋏でもよく切れるものがありますが、あれは実は刃が極細かなノコギリ状になっているからではありませんか? 安全剃刀でヒゲを剃ると肌が痛いのはそれが理由でしょう。

接木小刀を研ぐ

デービッドさんの接木デモ

かのやバラ園のアドバイザーでもあるDavid Barclay Sanderson(デービッド・バークレー・サンダーソン)さんの接木小刀に一目惚れして、私も「田主丸(たぬしまる)型」の接木小刀を兵庫県三木市の藤原小刀製作所からネット通販で購入しました。

安来鋼白紙本鍛造手打ちの「特級品」で、柄や鞘は朴の木が使用され桐の箱に入っています。『さぞかしよく切れるのだろう』と期待して刃を見ると、なんと研がれていないのです。『ああ、手打ちの刃物は自分で研ぐんだな』とあらかじめ準備していた砥石で丁寧に研ぎました。これまで使っていた小刀は中砥から仕上げ砥石なんですが、今回は「仕上げ砥石」も使います。これで研ぐと、博物館で見る日本刀のように(鏡のように)きれいに研ぎ上がります。

で期待しながらノイバラの枝を切ると・・。きれいに切れるんですが、重いのです。ノイバラの枝が刃にピタッとくっついて、やたら重い。表面が滑らかだとくっつくんですね。おまけに「田主丸型」だから枝が逃げませんしね。

しかし、なんとも浅はかだね。触れただけでスッと切れる小刀に憧れて、鏡のように研ぎ上げればいいのかと思っていました。そういえば、銃や砲身の内部は小さな条が切ってあるんだそうですね?

でも悔しいから、『ノイバラの切断面の組織はどうなんだ? ノコギリ刃の小刀だと切れ味は軽いだろうけど組織が壊れてしまうんじゃないか?』と自分に反論。

しかし。。私が好きな Paul Zimmermanさんは、YouTubeビデオ "The Difference Between Own Root and Grafted Roses" の4分20秒から始まるシーンで、挿し穂にする枝を鋏で斜め45度に切ってその基部をやはり鋏でちょいと削る(切り返す)だけじゃないか。う〜ん、ショック。それでいいのか。(じつはそれの方が良かったりして/笑/いけばなでは、水の上がりにくい木などの切り口を、わざと潰す方法がある)

でも(果てしなく自問自答は続く)やはり床屋の◯◯さんの剃刀の方が安全剃刀よりも気持ちがいいのだ。バラだって同じじゃないのか? 肝心なのは砥石の選び方だろ? じいちゃんは「天草」を使っていたよな。

しかし、妙なことを覚えているものですね。50年以上前に(私は子どもだった)祖父が使っていた砥石の名前(種類)ですよ。それだけじゃありません。刃物を研ぐときの匂い、鋼の匂いなのかそれとも砥石の匂いなのか、微かなその匂いを覚えています。
・・なんてことをぼんやり思い浮かべながら、接木小刀を研ぎました。

藤原小刀製作所の安来鋼白紙本鍛造手打ち「田主丸型」接木小刀

刃だけ超仕上げ砥をあて、そのほかは中砥の条痕を残したままです。
で、さっそく試し切り・・と思っても、辺りにはダイコンしかない。ダイコンじゃなぁ。

1ヶ月後の2月4日には、粕屋町バラサークルで デービッドさんの「接ぎ木講習会」の開催が予定されています。彼は「田主丸型」の接木小刀を何本も持参するはず。切れ味を確かめ、研ぎ方を教えてもらう絶好のチャンスだ。

デービッドさんの田主丸型接木小刀

デービッドさんの接木小刀の1本

これが「田主丸型」の刃の形だね。(地元産ではない私の小刀は直線的すぎる)。
柄がいい色してますね。何年くらい使われた小刀なんだろう。何本接ぎ木すればこんないい色になるんだろう。

そらの今年の接ぎ木と挿し木の目標数 500本 400本 350本

350本? 大きくでたね。すらごとになる可能性大だね。

バラの接ぎ木と挿し木の年間合計数ですよ。去年だって350はやったでしょ? もっとかも。
うん、今年の目標数はやはり500本なのだ。切っては研ぎ切っては研ぎして、刃の中央部分がデービッドさんの接木小刀のように凹むまで、研ぎ(いや)切りまくるぞ。

2012年1月2日

バラ かすやの里

『馬鹿は高い所に登りたがる』と言いますが、私もそうです。仕事で稀に「空撮」があるときは喜び勇んででかけます。『今日は雨雲があるから、それに突っ込むとキャブが凍結してエンジン停止で、田んぼに不時着かもね』とパイロットに脅かされながらも嬉しくってしょうがありません。

仕事の内容は、小型のセスナ機で対象(大型建築物の場合が多い)の上空を旋回しながら写真撮影をするというもので、技術的に特に難しいものではありません。適当な高度と距離で機体を30度ほどバンクさせ、振動しないようにスロットルを絞って(プロペラの回転数を落として)滑空状態でシャッターを切ります。風切り音だけが聞こえて、まるで自分が鳥(トンビ)になったようで、快感です。

北風が吹く日、畑でふと空を見上げると、板付(福岡国際空港)を離陸した東行きの旅客機が相島上空で旋回しちょうど真上を通過して行きます。さらにずっと上空にはたぶん上海に向かう西行きの飛行機雲も見えます。きらきらと輝きながら飛行するその美しい機体になにか憧れに似たものを感じます。同時に、地面を這いずり回っている自分がなにかつまらない、ちっぽけな存在に思えてしまいます。

確かに、飛行機から見れば自分の家や畑は小さいですよね。どこにあるのかわからないくらいです。そんな中で右往左往している自分。

そのような比較が無意味なことはわかっていますが、でもその「小さい」という感覚を忘れないようにしておこうと思います。それはなにか大切なことのような気がするのです。

上空1万メートルの成層圏を飛ぶ国際線の旅客機から見れば地上はまた少し違ったものに見えるのかもしれませんね。さらに国際宇宙ステーションからならどう見えるのでしょう? あるいは一気に飛躍して全宇宙というスケールで見れば?

何の根拠も無い(根拠などあろうはずもない)のですが、もしかしたら一輪のバラと全宇宙は同じサイズかもと思います。

そう思うとしても、だからどうってことはないのですが、小さいという感覚と全宇宙と等しいという感覚が、奇妙なことに同時に私の中にあります。

これが私の2012年最初のすらごとです。

2011年10月15日

先日バラサークルのみなさんと一緒に瀧◯邸のローズガーデンを訪ねたときのことです。昼食で頂いたビールの酔いをさまそうと、ひとりローズガーデンの前の坂道を歩いていたら、そいつがいたのです。私の前方3メートルの道の真ん中に、斜め後ろ向きで、振り返るかのようにじっと私を見ています。

『わっ!お前まだいたのか。懐かしいな。50年ぶりの再会じゃないか』

思わず近づこうとすると、そいつはスッと2メートルほど先へ飛んで着地し、そしてまた斜に構えて私を見ています。「道しるべ」です。少年の頃の夏休み、虫取り網を持って山裾の赤土の道を歩いていると「道しるべ」が出てきます。すばしっこい奴で、網が届く距離には近づけません。近づこうとすれば飛び、かならず行く手の道の真ん中に着地して、そして『こっちへおいで』とでも言うようにじっとこちらを見ています。そんな奇妙な動作を何度かくり返すので、少年たちはそいつを「道しるべ」と呼んでいました。

そのままどこまでもついて行けば『異界』へたどり着くかもしれない、そんな妖しげな雰囲気を持った昆虫です。でも、そいつは出てきたときのように突然いなくなります。それが「ハンミョウ」という名前であるのを知るのは昆虫図鑑を見るようになった小学校高学年になってからです。

中学生になって「道しるべ」を見失った私は、その後大人になっても不毛の荒野をさすらうことになるのですが、もしかしたら「道しるべ」に誘われて、捕虫網を持ったまま今でも異界をさまよっている少年がいるかもしれません。

今回もそいつはフッと姿を消してしまいました。我に返った私に、瀧◯邸の四阿で談笑するみなさんの声が聞こえてきます。

さて、私もそこへ戻るとするか。

2011年8月14日

陽が沈み夕闇が迫り来るまでのほんのひととき、バラがとても美しく見えることがあります。余計なものは闇に沈み、花の命の輝きがつつましやかに際だちます。

グラナダ 1963 ハワード アメリカ

私の事務所は博多中洲に近いところにありました。外での仕事を終え事務所に戻る道すがら、髪を結い化粧をしたこれから店に出るお姐さんたちとすれ違います。ドレスは店で着るのでしょう、夏はホットパンツ姿が多く、夕闇の中その白く長い足にドキドキしたものです。

八月十五夜の月が駕与丁バラ園の上に。

2011年7月12日

朝のうち2時間ほど畑仕事をしました。マクワウリ(黄花)のツルに白い花が咲いています。「あれっ?」と思ってよく見ると、接ぎ木苗の台木の「ひょうたん」の花でした。すでに10cmほどのかわいいやつが2個ついています。台木が結実するなんて、これはもう「完全放ったらかし栽培」ですね(笑)

今年の夏の2大目標は「熱中症にならない&夏バテしない」という極めて消極的なもので、10時前になるとさすがに暑くなって作業終了です。

そらの畑から 北西の空と大間池

一足先に帰ったバーバラが、シャワーを浴びてノースリーブのワンピースに着替えています。スカートが気持ち良さそう。冷えた牛乳を飲んで、朝の光を受けてキラキラ輝く湯船に身を沈めるのは、この季節の最高の喜びです。特別なことは何も無い、平凡な日常の平凡な一コマ。

2011年7月13日

「黄昏のビギン」という美しい曲がありますね。作詞:永六輔 作曲:中村八大
YouTube ちあきなおみ 黄昏のビギン

夕立が通り過ぎた黄昏の駕与丁バラ園もロマンチック(かも)。

駕与丁公園の「駕与丁大橋」 7:27 PM

2011年7月8日

午後4時半、駕与丁公園に立ち寄ったら、夏がそこまで来ていました。

私の畑は画面左奥の紅白の鉄塔の下付近です。草刈り機を振り回して夏草と格闘していたら、赤とんぼ(アキアカネ)が飛び始めたのに気がつきました。エンジンを止めて眺めていると、「カナカナカナ‥‥」とヒグラシの初鳴き。

・・と思っていました。でも、とても参考になるブログ、あるいは楽しいブログがあることも事実。要はブログをどう使うか、どのような情報を書き込むかなんでしょう。

バラ仲間とのコミュニケーションには既に「ばら日和」があります。バラ栽培初心者の私が個人的にブログを立ち上げるほどの何か有益な情報を持っているはずもありません。もしあるとすれば、それは初心者の試行錯誤の記録ですが、そんなものを公開する意味があるのか、自分でも怪訝に思っています。

もし、書き込む内容がバラの栽培技術に関するものではなく、バラとともに生きることが何なのかを問うものであれば、それは「初心者」云々とは関係ありません。でも、それとても公開する意味があるのかは疑問です。

ならばブログなんか作らなければいいのに。そもそも、誰に向かって書いているのか。

自分自身を除く一日のページビューが僅か "4" だったり、あるいは検索サイトからの訪問者が、内容の貧しさにがっかりされているのかもしれないけれど、でも『書きたい』という気持ちがあるのも正直なところです。それは「自己表現」の欲求なのでしょうか。

『表現に値する自己などあるのか?』と自分自身を嘲笑しつつも、私が探し求めているテーマは、バラの栽培方法ではなく、「自分はどこからきてどこへいくのか。自分はなにものなのか」ということなのではないかと思います。それを見つけていくためには「書く」こともひとつの有効な手段ではなかろうかと思うのです。

このように、自分を怪しみながらブログを立ち上げました。とりあえずは「自己満足」「自己表現」のレベルです。どちらも大嫌いなことなんですが、自分が何を探しているのか、もう少し見えてくるまで続けてみようと考えています。

2011年 そらみたか

2 件のコメント:

  1. (このコメントは 匿名さんが2012年1月7日土曜日 2:07:00 JSTに投稿したものです。)

    研ぐ・・・人生のようですね。ちなみに私の息子は「研」です。期待を込めてつけたのですが、研ぐの意味をわかっていません(苗字が長いので一字にしたのが要因ですが・・)
    そらさんの勉強熱心には脱帽です。それとバラ(それだけでは、ないのですが)に対する愛情は深いですね。私は熱しやすく冷めやすい性格なので、息を長くして、ついていきます。
    一輪のバラと宇宙は同じサイズですね。
    4日のデヴィットさんの講演会(勉強会)とても楽しみにしてます。素敵なブログ今年も宜しく(楽しみでーす)

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  2. (そら みたかの返信です。 2012年1月8日日曜日 22:11:00 JST)

    バラに関心を持つようになって3年が経ちました。最初の2年はボーッと過ごしましたが、去年はみなさんのおかげでいろいろなことを学ぶことができました。
    すべては匿名さん(笑)がブログ「ばら日和」を立ち上げてくださったからです。私個人だけではなく、勉強会の開催ができたことなども、すべて「ばら日和」があったればこそです。ありがとうございます。

    『バラに対する愛情』というのはいささか照れます。それはみなさんの足下にも及びません。それどころか、果たして自分がバラ好きなのかも疑問に感じています。
    でもひとつだけ間違いないのは、「ばら日和」に書き込むことによって匿名さんやMr.匿名さん、そして多くのすてきなみなさんとより親しくなれ、そこから学んだことが多い(大きい)ということです。

    先日、ちょっと考え事をしながらトラクタを運転していて(たぶん暗い顔をして下ばかり見ていたと思います)、ふと顔を上げるとそこに(畑に立ち寄られた)バラサークルのMさんの笑顔がありました。その一瞬で私まで晴々とした気持ちになりました。バラ100万本の笑顔です。

    返信削除

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