2021年10月23日 九州ばら懇話会 コンテスト会場にて 撮影:野田 準二氏(福岡バラ会)
以下の文章は、2021年10月24日の記事:「ばら展最終日 Game Over, それとも」 から、一部の再掲載です。
註:ここに書いた「最後の」というのは、私が福岡バラ会を退会するので先生から直接ご指導を受けるのは最後 という意味です。
恩師の 最後のお諭し
出品花を準備しているバックヤードの水場に審査委員長の小林 彰先生がお見えになって、出品花を "ホット神崎" ではなく予備に持参していた "ロージー クリスタル" に変更するようにとアドバイスがあった。私は迷いつつもどうも納得がいかず、"ホット神崎" を出品した。
小林彰先生は、私が卒業した高校の恩師。直接担任していただいたのではないが、もしそうだったとしたら、60年後の今でもとても顔向けできないほど反抗的で、成績劣悪で素行不良だった私。とうとう最後まで先生の言うことを聞かない生徒で終わってしまった。
私はHTローズ栽培の基本を小林先生から教えていただいたのだけれど、『このようなレベルではとても "卒業" させることはできない』とでもお考えになったのか、退会を考え直すよう強く勧められた。ありがたいことだ。
これまで指導していただいたご恩に対しては、先生の「月々の手入れ」を編集し刊行したこと、それをウェブ・コンテンツとしてページ化 したことで、幾分なりともお返しができたのではと思っている。先生の著作を最も熱心に読んだのは(理解の程度は別として)私だろうという自負はあるが、先生への最大のご恩返しは、『良いバラが咲きましたね』と言っていただけるような花を咲かせることなんだろうけど。。
小林 彰先生は、どちらかと言うと寡黙な指導者。予備の "ロージー クリスタル" が良かったわけでもないのに、変更するようにとのアドバイスは、何を仰りたかったのだろう。
この数年、小林邸バラハウスの管理作業などのために年に4〜5回は訪問し、その都度バラ栽培のお話を伺ったけれど、最も大事なことを私はまだわかっていないような気がする。
でも、それは『教えてもらう』ことではなく、自分で見つけるべきことなんだろう。ひとりでは時間がかかるかもしれないが、バラ栽培を続けていればいつかある日、『あぁ、先生が言われたのはこういうことだったんだな』と気づくことがあるかもしれない。
先生、ありがとうございました。 如何ともしがたい寂しさの中、謹んでご冥福をお祈り致します。
2 件のコメント:
いつも背筋の伸びていらした方でした。2016年の元気なお姿を拝見いたしますと胸が詰まります。
福岡バラ会でご指導を受けた期間は短いものでしたが、言葉の一つ一つに重みを感じております。最後になられたバラ展にて思いがけずお誉めの言葉を頂いた事が今後の励みとなります。
合掌M
Mさん、小林先生への追悼のコメントをありがとうございます。
小林先生が会員の出品花を言葉少なに褒めてあるシーンは何度か見たことがあります。今も鮮明に覚えているのは、ある秋のFさんの「ジェミニ」。その美しさを余すところなく具現した素晴らしい花でした。その翌々春のばら展だったかな、「バラの品種」コーナーに出品された小林先生の「ジェミニ」は、Fさんの花とは発色がまるで違うものでしたが、これまた驚嘆する美しさでした。『バラの美しさは多様なんだ』と気づかされた貴重な経験です。
残念なことに、私は小林先生から褒められた記憶がありません。しかし、これで「終わり」ではありません。小林先生は今もそこにいらっしゃって、私のバラを見てあると思っています。
2016年1月に撮影した先生の近影、厚かましく正面から至近距離で撮っていますが、撮っておいて良かった。バラ会を退会してどこか気が抜けたようなところがあるのですが、この写真を見ると気が引き締まる心地がします。あらためて、先生は優れた教育者だったのだと思います。
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