このブログについて


バラの栽培についての考え方や方法は多様です。その多様性こそが、バラが文化として豊かであることの証左なのでしょう。
"答え"は一つではないとすれば、バラ栽培の楽しさは、"自分のバラの世界を見つけ出す" その過程にあると思っています。

このブログは試行錯誤中のバラ栽培の記録です。一部の記事はバラ仲間に私の方法を紹介するために書いたものもありますが、
「栽培ガイド」の類ではありません。バラ栽培を始めた頃に書いた記事の内容は現在の栽培方法とは異なるものも多く、
技術的にも拙く、論理も雑駁で、誤謬も多々含まれていると思われます。批評的に読んでくださるようお願いします。

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2015年11月13日金曜日

そらの「メメント・モリ」

リセットの9月」で『2週間ほど 別荘に行って‥』と気取った書き方をしているのは、ほんとのことを書くのが恥ずかしかったからで、「別荘」というのは病院、つまり「入院する」ということです。

恥ずかしい理由は、私の場合は病気の原因がデタラメな生活習慣と、ムリやストレスに起因するものだからです。でも、入院した2週間は自分のこれからを考えさせられた貴重な経験でした。

メメント・モリ(memento mori)「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」

メメント・モリ - Wikipedia:病院や人物の描写には「そらごと」(フィクション)が含まれています。


否応無しの「別荘」行き

私がこの別荘に来るのは2回目で12年ぶりのことです。最初のときの最初の夜は、私の病室から少し離れた部屋で亡くなられた方があったらしく、ずっとご家族の泣き声が聞こえて、『これはえらいところに来たんだな』と、睡眠薬をもらって寝ました。

「ご家族の泣き声」はさすがに強烈な印象で、私は真面目に50日間の病院生活を送り、状態を示す数値も改善して無事退院。ところがその後が。。ふたたびだらしない生活で、また元の木阿弥。。かかりつけのホームドクターからは入院していた病院で再診察を受けるよう再三再四言われていたのですが、これを無視。

病室から見える北の空

私はバラを栽培し始めて7年目ですが、考えてみたらその間はずっと不健康な、と言うか、深刻な合併症が出ても不思議ではない、今考えればとんでもない身体状態でした。

指示を何年間も無視し続けるのに、さすがに先生も我慢の限界だったのか、強引に入院の手続きが進められ、パートナーのバーバラも骨折で入院中なのに、2度目の別荘行きになりました。

病室から見える北の空。

別荘での優雅な生活

7時起床 売店が開くと同時に淹れたてのコーヒー 8時朝食 9時入浴 午前中読書

昼食後午後2時頃まで午睡
その後軽い運動(バイク)と散歩 シャワー

夕食後10時まで読書 就寝

テレビ、新聞、ネット、携帯など、外界とは遮断。
合間に軽い検査も入るが、このような毎日。

私の9月27日の食事。1800 Cal.のコントロール食。コーヒーはいいがおやつはダメ。この夜は中秋の名月で、夕食(写真右)には管理栄養士さんの手作りカードが添えられている。

私自身はこのように「優雅な生活」でしたが、でも周りは深刻な病状の方が多く、ほんとうのことを言うと『自分の身の置き所が無い』という状況でした。朝風呂にゆっくり入り(入浴できる患者は少なく、私の他には入院給付金目当てのヤクザと、女性が数名だけ)、昼寝の後はリハビリ室でバイク(運動できる/するのは私だけ)など、他の患者さんにはどう映るのか。できるだけ目立たぬように、静かに本を読んでおりました。持ち込んだのは、デビッド・オースチン著の「イングリッシュ ローズ」「イングリッシュローズ図鑑」、それとオールドローズ関連の数冊です。

私が入院したのは 地域の中核医療を担う大きな病院で、外来受付には早朝7時から診察順番待ちの長蛇の列。ここはがん治療の拠点病院にもなっていて、個人病院では手に負えない患者や末期の患者が送られてきます。

その病棟は不思議な構造です。出入りするためのエレベーター・ホールは、「手術室」と「ICU」「救命救急センター」「救急外来」およびその家族待合室、その隣の「霊安室」に面しています。ここを通過しなければ病棟には行けず、そのあたりはいつも妙な空気が漂っていました。

救急車は1日に何回も来るし、駆けつけた家族は不安からか、待合室の壁掛けテレビをボーッと見ていたり。。ストレッチャーで運ばれる意識の無い患者(すれ違い様に血の気の無い顔がモロに見える。顔が覆われていないのは生きているからだけど、痩せ細り頬が落ち、まるで「死体」)は毎日(日によっては何度も)見かけます。

事件がらみの死因を調べるのか警察の鑑識が来ていることもあれば、エレベーターのドアが開くと目の前にストレッチャーに載せられたご遺体が出てきたこともありました。これには「ギョッ」とさせられました。いつもなら人気の無い時間帯に別のEVで搬送されるのですが、何か事情があったのでしょうね、外来の患者も多い時間帯に一般用EVで。もちろん白布に包まれているのですが、入院案内の料金表にはその代金も記載されていて、この「死後処理セット」代は 5,400円(保険適用外)なんだそうです。

私の病室は4階西病棟の「循環器科・腎臓内科/糖尿病・内分泌内科」で、4階東は「呼吸器内科」です。そこはほとんどが肺がんの患者で、肺がんの外科手術が不可能な人たちが入っています。手術をする肺がん患者の「呼吸器外科」は3階、肺結核は専用の別病棟です。

東西病棟の真ん中に(食堂みたいな待合室みたいな)ラウンジがあり、そこにご家族らしき人たちが集まると、『ああ、今夜はどなたかが危篤なんだな』ということがわかります。

がんの外科手術が不可能な患者は、まず放射線治療、その後3期に分けて抗がん剤治療が行われるのだそうです。その度に入退院を繰り返すので、その患者さんたちは病院のことに詳しくなりますが、彼らの話によれば、『病棟に入院している患者は、たぶん毎日一人くらいは死んでるだろう』とのことでした。

前回の12年前は「教育入院」というもので、だらしない生活習慣を是正することを主眼にしており、病棟も患者も比較的のんびりした雰囲気でした。しかし今回はまるで状況が違いました。4階西病棟は糖尿病と腎臓や循環器系に深刻な合併症を持つ患者がほとんどです。

認知症が出ている患者もあり、起きている間はずっと大声で叫びまくっている老人もいました。CCU(冠状動脈疾患集中治療室)の隣の病室で、ナース・ステーションから中の様子が見えるようにドアはいつも開けてあります。だからその叫び声が病棟に響き渡ります。

昼夜の別無く叫び続けるこの老人(何かを訴えているのだろうけど、看護師はそれを 無視)に驚いていると、私と同室の患者が、『叫ぶくらいはまだマシなほう。この前は病棟内を暴れ回る婆さんがいたよ』。

叫ぶ老人は自分では動けないのですが、あるとき車イスに座っている姿を見て、その上品で端正な顔立ちに驚きました。元気な頃は社会的にも活躍された方なのだろうと思います。 でも私が知るかぎり、その老人の家族や見舞い客は一度も見かけませんでした。孤独な老病人は少なくありません。

今の医療制度では原則的に入院期間2週間が限度?らしく、ほとんどの患者は病状が「小康状態」になれば退院させられます。多くの患者が退院したがらず、なにやかやと理由をつけて看護師に哀訴しますが、医師はそれを認めることはありません。そのようにして、患者がどんどん入れ替わります。

4階西病棟 472号室

ヤクザの親分 糖尿病 糖尿病性腎症で透析

自分がヤクザの親分だと同室の患者にもわかるように、刑務所を出たばかりの舎弟と携帯電話で話をする。看護師の扱いが巧く人気者のように見える。血糖値は計らず適当な数値を言う。看護師もそれを承知しているが、知らぬふり。

ヤクザなのに生活保護を受けているらしく入院費は無料。生活保護では個室は利用できないから4人部屋。退院の日、看護師が病室に入りながら、『◯◯さん、入院費は 無料 ですよ〜』と、廊下まで響き渡る大声で。これが彼女たちの精いっぱいの「お返し」。

元・ダンプ運転手 糖尿病 急性骨髄性白血病(化学療法で容態は安定)

3回結婚3回離婚。最初の子はそろそろ成人式を迎えるが、その子が小学生の頃から会ったことがない。現在一人暮らし。夏場は毎年 <意図的に> 血糖値を上げて、秋のこの時期に入院。

『宝くじは当たらんのに、なんで確率10万分の1の白血病には当たったんやろかね』

私は5回以上もこの愚痴とため息を聞かされましたが、それには「10万分の1」という自分の運命を納得できない、やり場の無い怒りが込められているように思えました。病院をたらい回しされた(別の見方をすれば、渡り歩いた)経験が豊富で、各病院の「裏事情」に精通。

元・企業戦士(システム開発) 糖尿病 糖尿病性腎症で透析 循環器系にも障害(検査中)

現役時代は連日会社に泊まり込みでモーレツに働いた。帰宅しないのを「浮気では?」と疑った奥さんが、ほんとに働いているのか夜中に会社に見に来たという逸話(本人談)の持ち主。

遺伝的要素の強い糖尿病で、父親は足の小さな傷が壊疽になり切断。それがトラウマになっている。

10月、退院後の診察が偶然同じ日になって4週間ぶりに出会ったが、そのやつれ方に驚いた。『今日は一日がかりでいくつもの検査を受けます』とまったく元気が無い。性格も明るく、現役時代は登山を楽しみ、たぶん部下にも慕われていたであろう人が。。人の世の「現実」は無慈悲で無惨。

不明 糖尿病性腎症で透析 鬱

一日中カーテンを閉めて閉じこもり食事も排泄(器具を使用)もベッドの上。ほかの患者とはいっさい口をきかない。一度だけ面会に来た奥さんは、不潔なものでも目にするかのような冷たい視線で、距離をおいて夫を見る。とっくに「見放した」という感じ。男の老後はかくも哀れなものなのか。

退院の前夜(深夜)、いつもは病室内のトイレにも行かない彼が、談話室の自販機の前で転倒し 頭を打って倒れているのを看護師が発見。このような事故は病院としては「管理の手落ち」としてはなはだ困る事態らしく、何人かの医師が入れ替わり診察に来る。「退院したくないからわざと転倒」という疑いがなくもないが、けっきょく退院させられる。帰宅しても「居場所」が無いのではと心配になるが、それは病院としては与り知らぬこと。

カメラマン 趣味はバラ栽培 HbA1cの値が高く、その状態が10年以上も続いている

本人が恐れている網膜症や他の合併症の所見は今のところ無し。一見真面目な患者に見えるが精神的に不安定で、継続性がない。病棟内での動向にも要注意。禁煙もできていない。

4階病棟の懲りない面々

重篤な病状の患者の中には精神的に落ち込む人も多いようで(当然ですよね)、昼間もカーテンを閉め切り、 食事もその中ですませ、医師や看護師以外とは口をきかない「鬱」状態で、背中を丸めベッドに座っています。比較的若いがん患者にその傾向が強いようです。

その逆が「喫煙者」で、彼らはたむろして時間を潰します。抗がん剤の「点滴チューブ」を付けたまま病棟から離れた喫煙所まで来て、点滴しながらタバコを吸う患者も珍しくありません。

病院敷地内はもちろん「全面禁煙」なんですが、外来患者や見舞客の眼には触れない最も奥まった場所の物陰に「灰皿」が用意してありました。毎日掃除がしてあるので、「公認の秘密の場所」なんでしょう。患者用と微妙な距離をおいて医療スタッフ用の灰皿もあります。聞くところによれば病院長(医師ではない)がヘビースモーカーなんだとか。入院を機に禁煙を考えていた私の意志は、この場所を知っていとも簡単に崩れ去り、ここに出入りする「不良老人」の一人になりました。しかし、ここが入院生活で最もためになった場所です。

ここに出入りするのは、整形外科患者を除けば ほとんどが 60歳台以降の「がん患者」か「糖尿病患者」です。しかも4階東の「抗がん剤治療」を受けている肺がん患者が多くて、ときどき咳き込みながらもタバコを吸っています。 信じられます?タバコを吸わない人には到底理解できないことでしょうね。

喫煙が及ぼす悪影響は誰でも知っていることで、でもそう遠くない時期に死を迎える人に今さら『禁煙』を言うのもヘンなこと。喫煙がいくぶん死期を早めるのかもしれないけれど、いずれ近いうちに死ぬんだから、本人の好きなようにさせておく。。

不良老人どもがたむろして話すことは(嘘かホントか)他愛も無いことばかりです。それと、カーテンを閉め切って閉じこもる隣のベッドの患者への苛立ち。

Aパチンコ屋が今閉店しとろうが。あれは負けた客が腹いせにトイレで首つり自殺をしたけん、営業停止を喰ろうとるからばい。Bパチンコ屋も同じ。でも代表者の名義だけ換えて、すぐに営業再開たい

がんになったからといってベッドに閉じこもって、それでがんが治るわけでもなかろうも。あと1年か2年か、毎日を明るく過ごさなきゃ。あいつら見るとほんとイライラする

この病院の医療スタッフは、部長や師長以外は医師も看護師もその多くが若い人たちです。生気のない患者とは際だった対照で、きびきびと働くその姿は生命力に溢れていて、私にはまぶしく感じられました。

ユニホームの色で担当がわかるのですが、特に「救命救急センター」のスタッフは、緊張感のある 美しい顔をしていました。病棟の看護師はみんな大きなマスクをしていて表情も見えないのですが、ここの医師や看護師は廊下に出てくるとマスクを外すことが多くて、すれ違いながら、『人命に関わる責任のある仕事と、その達成感ゆえに、このように美しい顔になるのだろうなぁ』と思いました。

不良どもがたむろする場所では、美人の看護師さんの話題とか出そうですが、この不良どもは既に枯れてしまっているのか(笑)、そのようなことが話題になるのは一度もありませんでした。「死」を自分のこととして意識するようになると、何かが変わってくるようです。

もっとも、病棟の看護師はみんなマスクをしているから誰が美人なのかわかりませんけど。というか、患者への対応はすべてマニュアルどおり、笑い方まで画一的で、識別できるのは「名札」だけ。人としての「親しみ」はありません。そのようなものは「看護」から排除するように教育されているのだろうと思いました。患者に人気がある(可愛がられる)のは、そのような管理教育からはたぶん落ちこぼれ気味の、ちょっと鈍くさいけど、それだけ人間味が感じられる、そんな看護師さんたちです。

私の病室で見る看護師の仕事は「雑用係」で、それは同室の患者たちも同意見です。でも重篤な患者がいる他の病室ではたぶん様子が違っているのだろうと思います。不思議なことに「ナースコール」は鳴りだすと連鎖反応が起きて次々と鳴り始め、その音は病棟の端まで響き、病室入り口の赤色灯が慌ただしく点滅します。 4階東病棟(呼吸器内科)はそれが極端で、その度に看護師さんたちは走り回ります。

病棟全体では毎日一人は亡くなる方があり(推測)、患者は短期間でくるくる入れ替わるような状況の中で、「気持ちが通うような医療や看護」を期待すること自体が、ムリな話なのかもしれません。

エンディングノートの準備はできたか

このたまり場はふだん3〜4人のことが多いのですが、あるときなぜかその倍ほども集まったことがあります。このとき何がきっかけだったか「エンディングノート」の話になりました。「エンディングノート」って知っていますか? 私はまったく知りませんでした。

  • エンディングノートはもう書き終えたな?
  • 俺はもう書いた
  • おれは今半分ぐらい。あとは葬儀屋の値段を調べて、どこにするか決めたら終わり
  • 葬儀の値段やけど、ありゃぼったくりもいいとこやな
  • アタマにきて、これ(頬に傷)に頼んだら、一声で半額になったばい
  • 近くの葬儀屋は全部調べたけど、葬儀屋はどこも同じばい
  • 葬儀なんてどうでもよか。一番安いやつにするよう書いたやな
  • 俺は財産は子どもには残さんことにした。全部売り払うて、遊んで暮らす
  • 家屋敷はもう売ってしもうたばい。おれも遊んで暮らす

がん患者の病棟は呼吸器内科の4階東だけではなく、ほかにもあります。詳しいことは知りませんが、一部の?がん患者は「エンディングノート」を書くことを勧められているようです。みんな平気な顔でタバコを吹かして与太話をしていますが、そう遠くない時期に自分が死を迎えることを承知して、その準備をしている のです。

死ぬことの準備を病院が勧める? それも「医療行為」なんでしょうか? 私には理解できません。
(追記;これは病院内にある「がん患者とその家族のサポート組織」の指導によるものだそうです)

翌日の喫煙所で、すでに「エンディングノート」を書き終えたという人と偶然二人になりましたが、さすがに その話はできません。すると彼が;

昨日小柄な人がいたやろ。あの人は『余命3ヶ月です』と医者からはっきり言われたげな。今時の若い医者ははっきり言うなぁ。 でも3ヶ月と言われても3ヶ月で死ぬことはなか。ふつうそれより数ヶ月はながく生きるけどね。

3ヶ月でも6ヶ月でも、それまでに自分が死ぬということを受け入れることができますか? 私にはとてもできそうにないけど、受け入れられなくても、そんなことにはおかまいなく、事実はむこうからやって来るのです。

そういえば、あの小柄な老人はみんなの中で意味不明の薄笑いをしていたなぁ。 視線も宙をさまようみたいだったし。 あれは「告知」を受けた直後だったのか? それで、彼の気持ちを支えるために、みんなが集まっていたのか。。

4階東病棟の「嵌め殺し」の窓から見る「中秋の名月」

『死んでいくときはひとり』

喫煙所で人気があったのは30歳代の女医さんで、医師には稀な喫煙者です。『喫煙所に若くて美人の女医さんが来るよ』という話を私は冗談だと思いましたが、実際に不良どもに囲まれて煙草を吸っている姿を二度ほど見かけました。このときばかりは不良どもも明るい表情で、陽気な笑い声も聞こえました。嘘かホントか、『今度一緒に飯を食いに行く約束をした。携帯も教えてもらった』と吹聴する者もいました。嘘でしょうね(笑)。

でも、その女医さん(たぶん"非常勤"の医師)の存在は印象的でした。というのは(私の担当医は)診察の際に患者の顔をロクに見もしません。見るのはモニタに表示されたデータだけ。これが現在の「医療」というものなんでしょうか。一緒に煙草を吸いながら(不良老人どもにはこれがなんとも嬉しいはず)、死と向き合う患者を一時でも和ませるこの医師は、現代の薬師如来か観音様なのかも。話が盛り上がっていたので 私はその輪には加わりませんでしたが、一度そのお顔を近くから拝んでおけば良かった(カメラマンとしては不覚/笑)。

パチンコで大損したことをおもしろおかしく話す人も、一人で煙草を吸っている姿は(私の眼には)孤独で不安でたまらないように見えました。私は暗い話をする相手にちょうどいいのか(笑)、何人かの人が自分のことを語ってくれましたが、そういう人はみんな「強がり」です。強がってムリな生活をしてきたから病気にもなり、今も「強がり」ですが、でも 自分の死が現実味を帯びてきたら、いたたまれない気持ちに追い込まれることもあるのでしょう。足元に散らかった吸い殻を見ながら、ぽつりと『死んでいくときはひとり』。

私が退院することになり、たぶんもう二度と会うことはない別れ際に、私に向けられた、すがるような、ねたむような、どう理解したらいいのか、自分の死を知った人の、その目が忘れられません。

私の入院目的は、治療方法を変更しその効果を調べる「コントロール入院」というものです。効果があったのか数値も改善の兆しを見せたので、2週間で退院しました。『これで、今後再び12年間はこの病院に戻ってこないぞ』と、気持ちも元気になったのですが、自宅に戻るとなぜか数値がかなり悪化して寝込んでしまいました。

そうなりがちなことは医師から示唆されていたのですが、身体的にも精神的にもつらい10月でした。

この間のブログが「美しい 10月」です。みなさんから元気を頂いて徐々に体力を取り戻し、10月の末にはなんとか畑に出れるようなりました。半年間まったく手入れされなかった畑のバラは、伸びまくった雑草に覆われています。雑草を払うと、驚いたことに それなりに育っていました。

少し仕事をして土の上に腰を下ろすと、柔らかく暖かな土の感触が伝わってきます。雑草と土壌微生物、そして山から下りてきた瓜坊たちが土をふかふかにしてくれたようです。手をかけなくてもきれいに咲いたバラや、流れていく白い雲を、ぼんやり眺めていました。

退院する者、効果が無ければ「後は打つ手無し」と怯えつつも つらい抗がん剤治療に耐える者。運命が明暗分かれるかのようですが、それは違いますね。流れる雲のように、私たちはみんな同じ方向に進んでいるのです。

『人生に夢を持ち、それが実現するように目標と具体的な計画を作り、それに向かって日々努力する』

これは多くの人がそう考える「人間らしい」生き方でしょうか。疲れたり迷ったりすることはあるとしても、私はこれまで「生きる」ということをそんなふうに考えていました。でも、そのように考えるのは止めることにしました。

目標や計画など重苦しいものは全部捨てて、来年や来週や明日は無く、その日を自分がしたいように過ごす。朝、目が覚めれば「もうけもの」。好きなように一日を過ごす。ただし、周囲の人にはできるだけ迷惑をかけぬように。

くだらない(と自分でも思う)けど、除草作業をしながらたどり着いた、これが私の「メメント・モリ」です

なぜそう思うようになったのか、これがバラ栽培にどんな影響を与えるのか、そんなことを考えるのもムダと思えて、「憑きもの」が落ちたかのように気持ちが楽になり、それゆえなのか、逆に生活にもリズムがでてきました。

「人間らしく」生きることを捨て、自分自身が「自然そのもの」に近づいたのかも? ホンのちょっとだけ。

よく言うよ。それこそ そらごと だろ。若い人も読むかもしれないのだから  自嘲  自重するように。

では、別の言葉で。 

「この世界は美しさにあふれていて、生きていることはすばらしい」

これが、畑と病院で学んだ、私の「メメント・モリ」です。



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