この記事は、2023年5月24日:「バラの開花を20日遅らせる − B 接木による方法」の続編です。自分のバラ栽培のための "自習ノート" なので、超長文で、サイズの大きな表もあり、スマホでの閲覧には不向きです。
テーマ:5月1日に開花したバラを、5月20日に開花させる方法を考える。
栽培環境と対象とするバラ:福岡市郊外 農業用ビニールハウス 鉢植え ハイブリッドティ
開花を遅らせる三つの方法
- 剪定日や方法を変える
- 接木による方法
- 遮光でバラの概日時計を狂わせる
このページ:遮光でバラの概日時計を狂わせるーその1
- 金沢を基準にして考えてみる
- 四季咲き性バラの春一番花の開花時期に関する栽培上の "事実"
- 花成を制御するシステムの全体像
- 花成ホルモン・フロリゲンを生合成するながれ
- 概日時計と花芽形成
次のページ:遮光でバラの概日時計を狂わせるーその2
- 日長を制御して、COタンパク質生合成の時期と量を金沢に合わせる
- 気温
- 概日時計を狂わせる
- 「C 遮光でバラの概日時計を狂わせる」のまとめ
- 「バラの開花を20日遅らせる」全体のまとめ
このページではバラの "概日時計" を狂わせることで開花時期を遅らせる方法を考えますが、この一連の記事のスタートは2023年4月16日の:「 早すぎる結蕾 "花芽形成" についての推察」です。
方法B.とC.の間(前のページ)に「花成ホルモン・フロリゲンは朝夕二度作られる」という記事があります。もしこのページを読まれるなら、そんな方は皆無だろうと思うけど:p まずそれらに目を通してくださるよう。でないと、ページの内容はまったく意味不明になるでしょう。
注:この分野での研究はモデル植物・シロイヌナズナ(アブラナ科の1年生草本)か、農業で重要な穀物類を対象に展開されています。 残念ながら、四季咲き性バラの花芽形成についての研究論文などは多くはないようです。ここでは「四季咲き性バラの春一番花」を考察の対象にしていますが、二番花以降の開花は別の要因が関連しているので、ここでは取り上げません。
この一連のページは科学的な根拠は極めて怪しげで、引用以外の内容は「・・だろう」という 仮定 に基づくものです。多くの誤謬があると思われるので、引用やリンクはしないでください。実栽培による検証は来春です。
1. 金沢を基準にして考えてみる
金沢ばら会の2023年春のばら展は5月20日と21日に開催される。金沢市ではその時期にもっとも美しく春のバラが咲くのだろう。これは5月1日頃に見頃になる私の環境より20日遅いが、バラの美しさを損なうことなく春の一番花を20日遅れで咲かせるには、日長と気温を金沢に合わせればいいのでは?
私の栽培環境を金沢に近づけることが可能かどうかがはひとまず置いて、花成時期に大きく影響する日長や気温をバラがどのように感知しているのかを調べ、ついで金沢と福岡のデータを比較して対策を考えてみる。
これまでと同様に、「研究用モデル植物・シロイヌナズナとバラの花成プロセスは基本的に同じであろう」という前提 で考察を進める。花成に関係する遺伝子やタンパク質はシロイヌナズナの場合。
新たな知見として、「花成ホルモン・フロリゲンを生合成するために必須な転写因子であるFTタンパク質、それを作るFT遺伝子が朝にも活発にはたらいている」という、奈良先端科学技術大学院大学(以下 "NAIST" と略記)の久保田 茜助教の指摘・「体内時計で季節を知る」(前ページの「花成ホルモン・フロリゲンは朝夕二度作られる」で紹介)があるが、その詳細が分からないので、とりあえずこれまでの知見で自分が理解した範囲で考察を進める。
2. 四季咲き性バラの春一番花の開花時期に関する栽培上の "事実"
日長の影響と開花時期
- 同じ福岡でも、地形の関係で日の出が遅い、あるいは日の入が早い(もしくはその両方)という、"日長が短い栽培地" は、春一番花の開花が遅くなる。これは栽培者なら誰でも知っている "事実"。
- 四季咲き性バラの春の一番花は、剪定日が多少ずれても、ほぼ同じ時期に揃って咲こうとする性質がある。
- これまでの経験から分かっている剪定日を大きく遅らせると、バラは開花を急いで小さな花を咲かせる。
光周性
多くの植物は、他家受粉をするために同じ品種は受粉に最も好ましい時期に一斉に開花しようとする性質があり、それを「光周性」という。Wiki から一部引用;
光周性は、1920年にガーナー(Garner)(米)とアラード(Allard)(米)によって発見された。彼らは、同じダイズの種子を少しずつ時期をずらして蒔いたところ、それぞれ生育期間が異なるにもかかわらず、どの個体もほぼ同じ時期に花を咲かせる ことに気づいた。このことから、花芽の形成時期を制御している条件が、土壌の栄養状態や空気中の二酸化炭素濃度などではなく、日照時間(正確には明期の長さではなく暗期の長さ)であることを発見し、Photoperiodic Response (光周期的反応)とした。
今回のテーマを考える上で、この「光周性」はとても重要。逆の言い方をすれば、この「光周性」に基づく開花時期をいかにしてズラすかがテーマ。
積算温度に基づく剪定日と開花日
福岡で剪定(2月15日)から開花(5月1日)までの期間(これを "標準" とする)の "日平均気温の積算温度" が1060.2℃で咲いたバラ品種は、金沢でも適期に剪定すれば同様に1060.2℃で咲くはずで、それを「金沢で5月20日に開花させるためには、いつ剪定すればいいか」を積算すると、2月28日に剪定すればいい という結果になる。これを金沢ばら会の◯◯様に確認したら、「金沢における剪定時期は、2月末から3月はじめにかけて」と教えていただいた。ここまでは間違いないと確認。◯◯様ありがとうございました。
POINT:しかし、既に 「A2. 剪定日や方法を変える」 で検討したように、この「2月28日に剪定すればいい」は、福岡には当てはまらない。
福岡の標準剪定日の2月15日から見ると 2月28日は2週間遅れだが、2週間遅れで剪定しても開花時期は標準開花日より1週間も違わないだろう。なぜなら、ガーナーとアラードが発見した「光周期的反応」、つまりバラの春一番花の開花時期は、概日時計を基準にしたMADSボックス遺伝子によって制御されている から。
花成の時期とMADSボックス遺伝子 Wikipediaより一部引用 傍線:そら
花成の時期の決定 にもMADSボックス遺伝子が関わっている。シロイヌナズナでは、MADSボックス遺伝子の SOC1 と Flowering Locus C(FLC )が 花成における主要な分子経路を統合するのに重要な役割 を果たしていることが示された。(SOC1とFLCは下図を参照)
こういった遺伝子は正しいタイミングで花を咲かせるのに必須の役割を果たし、繁殖において最も成功が見込める時に確実に受精が起こるような仕組みを実現している。
四季咲き性バラの春一番花の開花を20日遅らせるには、剪定日を遅くすればいいのではない。もちろん、剪定日を極端に遅らせれば(あるいは切戻し剪定をすれば)5月20日に開花させることは可能だ。だが、栽培者ならすぐわかるように、それでは春一番花の美しさ(生き生きとした輝き、花の大きさと勢い、花と葉のバランスなど)は損なわれてしまいがちだ。そのような花を「一・五番花」と呼んでいる。これをいかに解決するか。
3. 花成を制御するシステムの全体像
このページでは花成に関して「光周性」をメインに考えているが、それ以外にも影響を与える要素があることは栽培上の経験からわかる。温度が重要なのは言うまでもないが、株の樹齢(幼若性=実生や挿木・接木の幼苗は、成株とは異なる開花特性を示す)や、あるいは過肥のような環境ストレスなども開花時期に影響を与える。
NAIST 花発生分子遺伝学 伊藤 寿朗教授 の資料で、花成を制御するシステムの全体像を見る。
花の発生における幹細胞の増殖および分化の制御|ライフサイエンス 領域融合レビュー 3, e014 (2014) から部分引用。
花成の誘導は、光周期依存経路,春化依存経路,自律的経路,ジベレリン依存経路のほか,温度受容性経路,加齢経路という複数の独立した経路からのシグナルが統合され,最終的にFT,SOC1,AP1,LFYといった花成を促進する転写因子の発現が誘導される。
その上流には,花成の抑制タンパク質であり,自律的経路,春化依存経路,高温受容性経路からのシグナルの集約する FLC が機能している.FT は花成シグナルの統合タンパク質であり,葉で感受した光周期による花成誘導シグナルを茎頂に伝達する花成ホルモン(フロリゲン)の分子的な実体と考えられている.
花成の抑制タンパク質FLC,花成の促進タンパク質SOC1,花メリステムの決定タンパク質AP1,花のホメオティックタンパク質であるAP1,AP3,PI,AGは,すべて MADSドメインタンパク質である.
開花にいたる経路の複雑さに驚く。➞ は促進、T は抑制。「光周性依存経路」からAP1にいたる経路の水色マスキングは私の改変によるもの。この経路をコントロールすることで開花を20日遅らせようとしている。花成を抑制する FLC については、その項目はわかるが、具体的な内容は理解できていない。以下で紹介する "TFL1" との関連性もわからない。
花を咲かせないようにする仕組み "TFL1"
山口暢俊助教 et al.-2020|奈良先端科学技術大学院大学| から一部を引用し、自分にわかりやすいよう改変
花を咲かせないようにする仕組みを発見
花成ホルモン「フロリゲン」と抑制因子が共通のパートナーを奪い合い
開花時期の操作や食糧増産に期待
植物は環境からの様々な情報を利用して花を咲かせる適切なタイミングを決めています。特に光に応答したタイミングの決定において重要な役割を果たしているのが、花成ホルモン「フロリゲン」と呼ばれるFLOWERLING LOCUS T(FT)タンパク質です。
花を咲かせるように仕向ける光の環境条件で育てた植物は、まず葉でフロリゲンを産出します。そのフロリゲンは篩管を通って茎頂へと運ばれ、パートナーである遺伝子発現のスイッチをONにする転写因子FDと結合し、花芽をつくる遺伝子に働きかけます。
しかし、光など環境の情報が花を咲かせるのに適した条件でない場合には、茎頂での花芽形成は抑制されています。この抑制を行っているのが、TERMINAL FLOWER 1(TFL1)タンパク質です。このTFL1タンパク質もFTのパートナーであるFDに結合して複合体を形成します。
花を咲かせないときには、TFL1-FD複合体が花をつくる遺伝子の働きを抑えている。
TFL1とFTは競合し、FT-FD複合体が形成されると花をつくる遺伝子が働き、花の形づくりが実行されていく。
パートナーFDの競合によるTFL1とFTの拮抗作用により、植物が花を咲かせずに待つのか?それとも花を咲かせるかを決定します。そのあと、LFY遺伝子が細胞に花の性質を付与して、花の形づくりが実行されていきます。
バラ栽培者必見 岩田光氏の優れた研究 TFL1とバラの四季咲き性
「アンチフロリゲンの発見と光周性花成を基礎としたキクの周年生産」|「化学と生物」(公)日本農芸化学会
久松 完 農業・食品産業技術総合研究機構野菜花き研究部門 から一部引用
花成抑制因子:TFL1はアンチフロリゲンか?
TFL1遺伝子のホモログ(相同遺伝子)が多年生植物の開花の季節性や幼若期間の決定における重要な因子であることが示されている.ノイバラの開花が春にのみ見られるようにバラの野生種の多くは一季咲き性を示すが,現代のバラ園芸品種の多くは四季咲き性を示す.現代の栽培バラの四季咲き性は,中国古来の四季咲き性のコウシンバラの形質が導入されたものとされている.このコウシンバラの四季咲き性の原因が,TFL1相同遺伝子(KSN)にトランスポゾンが挿入し,KSNの機能が欠損したためであることが示された.
バラの「四季咲き性」は、花成を抑制するKSN遺伝子(シロイヌナズナの場合はTFL1遺伝子)のDNA配列がトランスポゾン|Wiki によって構造変化し、その結果、花成の抑制ができなくなることから生じる。「四季咲き性」の仕組みについては、以下の岩田 光 et al. の論文を参照。
"The TFL1 homologue KSN is a regulator of continuous flowering in rose and strawberry"
- Hikaru Iwata et al. - 2012 - The Plant Journal - Wiley Online Library
「TFL1ホモログKSNは バラとイチゴの継続的な開花の制御因子です」(Google翻訳)
この論文に関連して、荒木 崇・京大院教授のコラムが、植物まるかじり叢書 電子版(訂正・追記) | 出版物 | 日本植物生理学会 の3巻1章「ようこそ花の世界へ」のページにある。一部を抜粋し引用;
中国のバラから西洋バラに持ち込まれた「四季咲き性」は、元・湧永製薬植物園の岩田光氏や、筆者、フランスのFabrice Foucher博士らの研究によって、中国産のバラRose chinensis(庚申薔薇、コウシンバラ)で生じたシロイヌナズナのTERMINAL FLOWER 1 (TFL1)に当たる遺伝子の機能欠損によるものであることが明らかになった(Iwata et al. 2011)。バラのTFL1遺伝子は、「庚申薔薇」に因んでKOUSHIN (KSN)と名付けられた。
TFL1遺伝子がコードするTFL1タンパク質は、フロリゲンであるFTタンパク質とよく似た構造を持つタンパク質であるが、多くの植物でフロリゲンとは逆の役割(花芽形成の抑制)を持つ。コウシンバラで生じた四季咲き性は、KSN遺伝子の機能が失われることで、花成の調節とともに花序の形態の調節が変化した結果生じたものであった。
モダンローズの四季咲き性は、Rose chinensisのスポーツ(枝変わり)を固定したものとの交配から生まれたそうだが、四季咲き性のメカニズムを、バラ栽培を始めて10年以上も経って初めて知った:p
KSN遺伝子について岩田 光氏が書かれた「四季咲きの謎が解けた」という記事が、誠文堂新光社 2016年発行の "ビオストーリー" No.25「薔薇の物語」に掲載されている。京大院・荒木教授らとの研究成果を踏まえて、一般向けに書かれた優れた内容だ。
花成を抑制するFLCとTFL1の二重構造?
このページでは、FTの発現量のピーク時期を遅らせることで開花を遅延させることを考えている。前述のNAIST・伊藤 寿朗教授の経路図では、花成ホルモン・フロリゲンの実体であるFTタンパク質を抑制する機能としてFLCがあるが、NAIST・山口暢俊助教の記事では、「花を咲かせる時期は、TFL1とFTの拮抗作用 によって決まる」とされている。このFLCとTFL1はどのような関係なのだろうか。
花芽形成のタイミングが、FLCとTFL1の二重構造によって制御されていても不思議ではないが、その辺りのことは私にはわからない。特に、FTやTFL1と結合して花成を制御する "FDタンパク質" についての情報を見つけられずにいる。
そのような状況で、では実栽培で開花時期をコントロールするには具体的にどうすればいいのか、その詳細をFTを中心に検討していく。
4. 花成ホルモン・フロリゲンを生合成するながれ
NAIST 伊藤教授の経路図で水色にマスキングした部分「光周期依存経路」のメカニズムを、資料1〜3で再確認する。
- 資料1.と2. 「FT遺伝子は概日時計の働きによって夕刻に発現する」とした従来の知見
- 資料3. 「FT遺伝子が朝にも活発にはたらいている」という、NAIST 植物生理学教室の新たな知見
資料1. フロリゲン|Wikipedia 読みやすいように一部改変
- シロイヌナズナにおいて、シグナル伝達は CONSTANS(CO)と呼ばれる転写因子をコードしているメッセンジャーRNA(mRNA)の産生によって開始される。植物の生物時計の制御によって、CO mRNAは夜明け後約12時間後に産生 される。
- このmRNAはCOタンパク質へと翻訳される。しかしながら、COタンパク質は光存在下でのみ安定なため、COタンパク質の量は日照時間が短い間は低く保たれ、日照時間が長くなりまだ光がある夕暮れ時にのみピークに達することができる。
- COタンパク質は、FT遺伝子の転写を促進する。このような機構によって、COタンパク質は日照時間の長い時期にのみ、FT遺伝子の発現を促進することが可能なレベルに達することができる。
資料2. 京都大学大学院 生命科学研究科
重要なポイントー1 花成開始のタイミング
- 葉の細胞にある 光受容体(フィトクロム)が光を感受 する。
以下 植物が光を感じる仕組み | みんなのひろば | 日本植物生理学会 から一部引用
不活性型のフィトクロムは細胞内の細胞質ゾルと呼ばれる分画に水に溶けたような状態で存在します。ここに光が当たると、活性化されたフィトクロムが細胞内の核という構造の中へ移動します 。
核内には遺伝子の本体であるDNAがしまわれており、ここに転写因子と呼ばれるタンパク質が結合することで個々の遺伝子の発現量が上がったり下がったりします。
活性化されたフィトクロムは、核内で特定の転写因子と結合しその分解を促します。その結果、この転写因子が制御していた幾つもの遺伝子の発現量が変化し、細胞はその性質を変える(CO遺伝子が発現する)こととなります。
- FTタンパク質を作るために必須な転写因子COタンパク質は概日時計に制御されて夜明け約11〜12時間後に生合成されるが、日照がないと分解されてしまい、FTタンパク質は作られない。
- FTタンパク質は、葉の先端側の維管束篩部の伴細胞(師管について | 日本植物生理学会)で作られる。
- 光によって活性化されたフィトクロムが核内に移動
- CO遺伝子の読み出し* → COタンパク質(転写因子)の産生
- COタンパク質(転写因子)によるFT遺伝子の読み出し → FTタンパク質(フロリゲン)の産生
- FTタンパク質が維管束を通って茎頂に移動
- ある量まで蓄積されたFTタンパク質が茎頂でFDタンパク質と結びつき、花の形態についての情報を持つ遺伝子(AP1遺伝子など)の読み出しを開始する
参考:フィトクロムのシグナル伝達機構
* 光をうけ活性化した フィトクロム(pfr) の働きについては、京大院の「植物生理学研究室 長谷研ホームページ」|「フィトクロム研究」に記載がある。一部を引用。
フィトクロムが核内でシグナルを伝達する機構として最も有力なのが、転写因子との相互作用である。フィトクロムは、PIFと呼ばれる bHLH型の転写因子群 と光依存的に結合する。これらの転写因子は、核内でフィトクロムによる制御の一次ターゲットとなる遺伝子のプロモーター領域にあるG-box配列に結合し、フィトクロム応答を負の因子として抑制している。フィトクロムは、これらの因子のプロテアゾームによる分解を促進することで、光応答を引き起こす。
何やら難しいが、「活性化した フィトクロム(pfr) が、CO遺伝子の発現を抑制していた "G-box配列" を分解する」ということかな。ただし残念ながら、ここには「光刺激を受けて◯◯時間後」という機能の説明はない。
モデル植物・シロイヌナズナは栄養成長と生殖成長がはっきり区分できるが、バラの春一番花は葉の展開(栄養成長)と花芽形成(生殖成長)がわずかなタイムラグで進行する。剪定後に膨らみ始めた新芽は、まず三枚葉、続けて複数の五枚葉を展開したのちに再び三枚葉を展開し、蕾をつける。シュート頂メリステムで花の原基が分化するのは、上部の三枚葉の原基が作られた直後になる。
つまり、それが四季咲き性バラの春一番花の花成のタイミング。このときの新芽の状態は、最初の三枚葉が展開し始めたばかりで、芽の内部では複数の五枚葉が作られており、その新芽の長さは1〜2cm程度だ。
葉の先端側の維管束篩部の伴細胞の光受容体(フィトクロム)が花成のトリガーなら、バラの花成のタイミングは「最初の三枚葉が展開し始める時期」ということになる。それは私の環境では3月初め頃だ。
3月1日の福岡の日の出は 6:48で、CO遺伝子の読み出し時刻は日の出の11時間後(仮定)の 17:48、日の入は18:15だから、日没によってCOタンパク質が分解されるまでに27分間の時間があり、FTタンパク質が生合成されるのに時間的な問題はない。
しかしこの考えは正しいだろうか? これでは「花成時期を決定するのは 葉の成長程度」、つまり「剪定の期日とその後の気温」ということになる。「四季咲き性バラの春一番花は、剪定日の数日程度のズレはあまり関係なく、ほぼ同じ時期に咲く "光周性" がある」という事実に合わない。もしかして「花成がスタートするのは最初の三枚葉が展開してから」よりも早いのではないだろうか? 花成スタートのトリガーは光受容体の "フィトクロム"。
光受容体・フィトクロムはバラの 枝の表皮 にもある?
『フィトクロムは,根を含む様々な器官,組織で発現している』 出典:光合成事典
フィトクロムが剪定した枝にもあるなら、まだ新芽が固い時期でも "枝の表皮にあるフィトクロムが光に反応している" と考えられる。つまり上図の「葉」を「枝の表皮」に置き換えればいい。FTタンパク質が作られる 維管束篩部伴細胞|Wiki はもちろん枝にもあり、作られたFTタンパク質がある程度の距離を移動するのは、京大院 生命科学研究科の実験などによって確認されている。
四季咲き性バラの春一番花の花成は "枝の表皮にあるフィトクロムがトリガー" というのは、かなり無理っぽい推測に過ぎないが、「確認されていないから間違い」・・とは言えないよな:p
9月13日追記:
いや、この推測は屁理屈にすぎないだろう。新芽が綻んで最初の三枚葉が展開したら、そこにあるフィトクロムが機能してFTタンパク質が作られると考えるのが無理がない。バラの開花時期を制御する「光周性」が、剪定日やその後の気温では説明できないのは、まだ私が理解できていない "MADSボックス遺伝子" の働きによるのだろう。
重要なポイントー2 朝の FT遺伝子発現量は 金沢も福岡も同じ
この一連の記事のテーマは、金沢で5月20日にきれいに咲くバラを同じように福岡でも咲かせたい(何もしなければ5月1日に咲く)ということ。開花を20日遅れにするには、剪定日を遅らせることでは無理(剪定を極端に遅い時期にして20日遅れで咲かせたバラはやや品質が劣る)なので、栽培環境をできるだけ金沢に近づけて花芽形成時期を合わせるのがポイント。その時期を左右するのは、気温とバラの概日時計によって制御されるFT遺伝子の発現量。
資料3. 奈良先端科学技術大学院大学 植物生理学
奈良先端科学技術大学院大学 植物生理学教室の指摘によれば、FT遺伝子は朝にも多く発現する。
その機序は不明だが、金沢と福岡の開花時期を合わせるためには重要な条件ではないと思う。 なぜなら夕刻は "光がなくなるとCOタンパク質は速やかに分解され、その結果 FT遺伝子の読み出しは起きない" という "ケツカッチン" があるが、午前中はその制約がない。
金沢は福岡より約20分日の出が早いが、その違いしかないので、【図6】 の緑の折れ線を20分右へシフトするだけ。午前中から昼過ぎまでのFT遺伝子の発現量は金沢も福岡も同じ だ。
よって、金沢と福岡のFT遺伝子の発現量を揃えるには、夕刻のみを考えればいい ことになる。
5. 概日時計と花芽形成
金沢で2月28日に剪定すれば5月20日に開花するバラを福岡でも5月20日に開花させるには、花成プロセスの進行を金沢に合わせる必要がある。それに影響しているのは(金沢と福岡の差は)「日長」と「気温」。
まず「日長」から検討してみるが、そのキーポイントは、バラのすべての細胞内に存在している「概日時計」の仕組み。この数ヶ月、ネット上にある資料を読んでいるが、ボケ始めた頭ではその全体像を把握するのがとても難しい。
NOTE-1は、京都大学大学院生命科学研究科 分子代謝制御学 遠藤 求准教授(現・NAIST 教授)によるもの。
NOTE-2の「植物時計のしくみとはたらき」は、名古屋大学 ゲノム情報機能学研究分野(藤田・山篠研究室)ホームページからの引用。NOTE-1と同じ内容を含むが、「概日時計」を理解するのが難しいので繰り返す。
なお、NOTE-1は実教出版の「高校生物」の副読本。高校生になったつもりで:p これらのページの要旨を"抜き書き引用"する。傍線:そら
NOTE-1 概日時計とは
京都大学大学院生命科学研究科 分子代謝制御学 遠藤 求准教授(現・NAIST 教授)植物の体内時計はどこにある?
じっきょう資料|理科|高等学校 教科書・副教材|ダウンロード|実教出版ホームページ から引用
- 概日時計はおよそ24時間の周期
- 植物が決まって春に花を咲かせるのも概日時計の働きによるもの
- 植物は概日時計を利用して日長を測ることで季節を知り,適切な季節に花を咲かせる
- 概日時計の三要件
- 光や温度の外部環境刺激が無くともリズムが持続する(自由継続性)
- 明暗サイクルに同調できる(光位相同調性)
- 周期が温度によって影響されにくい(温度補償性)
- 植物の体内時計システムは動物と同様に階層構造を持っている
- 維管束の概日時計は花成ホルモンの産生を通じて,個体全体の生理応答を制御している
NOTE-2 植物時計のしくみとはたらき
名古屋大学 ゲノム情報機能学研究分野(藤田・山篠研究室)ホームページ から引用し、自分が理解しやすいように改変。この項を読まれる場合は必ずオリジナルを参照してください。
植物時計のしくみとはたらき
約24時間周期で変動する概日リズム(circadian rhythm)の普遍的性質
- 外部環境の変化が無くても約24時間周期のリズムが自律的に継続
- その周期は生理学的な温度範囲において、温度変化の影響をあまり受けない
- 光および温度による外部からの刺激などに対してリズムの位相を変化させることで昼夜の変化に同調することができる
- 中心振動体(下記) 時計タンパク質の活性および存在量の周期的変化が概日リズムを作る
- 入力系 中心振動体に光と温度などの外部情報を伝達し、時計の振動位相を調節する
- 出力系 中心振動体からの時間情報に応じて決まった時間に決まった応答を誘導あるいは抑制する
シロイヌナズナの概日時計メカニズム
概日時計の中心振動体は3つのクラスの転写制御因子から構成されていて、それぞれの遺伝子のmRNAは、夜明け前(CCA1/LHY)、朝から夕方(PRR9/7/5/TOC1)、夕方から夜(ELF4/ELF3/LUX)の順に一過的に誘導される。
mRNAを鋳型に翻訳された中心振動体タンパク質は "転写抑制因子" として機能し、自分の発現位相よりも前に発現している中心振動体遺伝子の発現を負に制御 する。
その結果、自分の発現位相よりも後に発現する遺伝子の抑制が解除される(それによって今度は自分が抑制される番になる)。これにより、CCA1/LHY ➞ PRR9/7/5/TOC1 ➞ ELF4/ELF3/LUX ➞(約24時間後に再びCCA1/LHY という繰り返し)1日の時間経過とともに中心振動体遺伝子が時間特異的な発現ピークをもって振動する。
NOTE-3 入力系
入力系は 日長(明暗)と 温度(寒暖)。光受容体については、前ページの「6. 光と遺伝子発現」で考察した。
「温度」が概日時計をどう制御しているかは、残念ながらあまり情報を見つけれない。
- 光受容体としてはフィトクロムやクリプトクロムなどがあるが、「温度受容体」としての働きが見られるものには "フィトクロムB" がある。参照:「植物が温かさを感じるしくみ」|植物バイオの実験室|農業電化協会
- 宇都宮大学バイオサイエンス教育研究センターの児玉 豊教授は、光受容体の「フォトトロピン」が温度受容体としても機能することを証明されている。参照:「植物が温度を感じる仕組みようやく発見!植物の温度センサー分子」|生物と化学 57(1): 21-28 (2018)|公益社団法人日本農芸化学会
概日時計の特徴に「周期が温度によって影響されにくい(温度補償性)がある」とされるが、日長が刻む概日リズムと、一日の温度変化が刻むリズムは、どのように中心振動体(植物時計の本体)で統合されるのだろう? それぞれの情報が独立して中心振動体に入るのか、それともその前段階で調整するなんらかの機構があるのか。
NOTE-4 出力系
引用: 概日時計の出力系は、中心振動体からの時間情報に応じて決まった時間に決まった応答を誘導あるいは抑制する
名古屋大学 ゲノム情報機能学研究分野(藤田・山篠研究室)
概日時計の役割は、葉の就眠運動や胚軸の伸長、気孔の開閉などいくつかあるが、ここでは花成のトリガーとなるCONSTANS(CO)に対する概日時計の役割を調べる。
「光周期による花成ホルモンFTの発現メカニズム 植物はどのように季節変化を感じるのか」
伊藤 照悟 名古屋大学大学院生命農学研究科|化学と生物 Vol.51, No.12, 2013 から引用
COの発現
- シロイヌナズナは,日が長くなると花成ホルモン(フロリゲン)の実体である FLOWERING LOCUS T(FT)が蓄積し,花成が誘導される。
- FTの遺伝子発現を活性化する光周性花成経路の転写因子は CONSTANS (CO)。 CO mRNAの発現は朝に低く抑えられ,昼過ぎから夜にかけて誘導される。
- COタンパク質は暗所で非常に不安定であり,明所においてのみ蓄積しFTを転写活性化できる。
- FT mRNAは長日条件下で夕方にピークをもつ発現パターンを示す。ゆえに、COタンパク質は長日条件の夕方の時間帯のみでFTを転写活性化できる。
COの転写制御と光条件によるCOタンパク質の安定性制御メカニズム
- 植物は生体内に一日を計測する概日時計機構を保持しており、さまざまな遺伝子を一日の特定のタイミングで発現することを可能にしている。
- 概日時計に発現を制御されている遺伝子群 FKF1、Gl、CDF が、COの転写を制御する主要な因子。
- CDF因子群は朝に蓄積し、CO遺伝子のプロモーター領域に直接結合して COの転写を抑制 する。
- FKF1は青色光受容体、Glは核局在性のタンパク質で、この2つの因子は長日条件下で午後から夕方に共発現し青色光依存的にFKF1-GI複合体を形成する。この複合体が 抑制因子であるCDFsを分解。
- その結果,転写抑制が解除されたCO遺伝子は午後から発現し始める。
- COタンパク質の安定性はさまざまな光シグナルによって制御されている。暗所ではSPA1, SPA3, SPA4複合体によって、COタンパク質が積極的に分解される。
- フィトクロムAとBの2種類の赤色光受容体は、拮抗的にCOの安定性を制御している。朝方はフィトクロムBが赤色光依存的にCOを分解に導く。フィトクロムAは長日条件下において午後から夕方にCOの安定性を高めている。
- 青色光受容体であるクリプトクロム1と2は、青色光依存的にSPA1と結合しCOを安定化している。
雑感:概日時計は "おーまん"?
概日時計の出力系とCO遺伝子発現の直接的な関係は私にはイメージしづらい。例えば、光で励起されたフィトクロムが核内に移動し、いくつかの転写・翻訳プロセスを経ることで時間が経過した後に、それまで抑制されていたある遺伝子が発現するというのは "時計機能" とは言えないだろう。それは単に "時間がかかる生化学反応" じゃないのか。。
時間に敏感な植物種は20分の時間差を認識できるらしい。「CO遺伝子は日の出の時間帯から11時間後に読み出される」として、この中心振動体のどこにそのような "タイマー機能" があるのだろう?
「CO遺伝子の発現は夕刻まで低く抑えられ、その抑制が外れてできたCOタンパク質は光がないと分解されてしまう」という私のイメージ(シャープカット)は、前述したNAISTの【図6】「 FT遺伝子のはたらく時間帯」のグラフとは大きく異なる。「COタンパク質は夕刻に(のみ)産生される」ではなく、「COタンパク質の産生は夕刻にピークになる」が、より実際に近いものだろう。
中心振動体のパーツはかなり "おーまん"(博多弁で「大雑把」の意味)で、その反応は "シャープ" ではない。しかしその出力系は総体として明確な結果を出す・・というのが、概日時計や花芽形成のを含む植物生理全体についての私の印象。細かなことにセコセコしない、しかし全体はきちんと筋が通っている。なんかとてもかっこいい。そこにはたぶん何億年もの進化の歴史があるんだろうな。
註:なお、ここに引用した名古屋大学大学院 伊藤教授のCOタンパク質産出メカニズムと、NAISTの「朝にもFT遺伝子が多く発現している」という指摘とは乖離が大きい。でもNAIST 遠藤教授が言われるように、FT遺伝子の発現は『"全く未知のメカニズム" によって制御されている』可能性もあるのだろう。
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