毎日のようにハウスに通っていると、朝入り口を開けた時にバラの声が聞こえる。今朝は『今日の手入れは何も要らないよ』と言っているみたいだったので、夏草が生い茂っている畑の草刈りと、トラクタで畝を耕転をした。
幸せなバラ栽培者
トラクタを動かすのは体力は要らないし無心になれる好きな作業。ふと、自分は「幸せな栽培者だな」と思う。手に余るほどの広い畑地とトラクタと軽トラックがあり、ハウスも2棟あって、誰に気兼ねすることもなく勝手気ままに栽培することができる。先輩のご指導のおかげでコンテストで受賞するバラを咲かせることもできるようになった。
バラ仲間と共にバラの「品位」を問題にするようなハイレベルな栽培方法の研究や実践は楽しい。あるいは、きれいに咲いたバラを家族や友人、ご近所のみなさんと愛でるのも素晴らしい時間なんだろうと思う。
だけど。
バラ栽培は 精神的行為
今の私のバラ栽培の日々は、何かが、私が「見たい」と思っているものとは違う。それが何かは漠然としていて未だ姿が見えないけれど、考えながら実践の中で探すしかないから、まず自分をリセットすることにした。
- バラの美しさは多様
一輪のHTを美しく咲かせる栽培技術は、福岡バラ会では70年にも及ぶ研鑽の集積がある。そのコンテストにおける審査基準(審美眼)に違和感を感じたことはない。
しかし、「バラの美しさはそれだけではないだろう」というのがコンテストから離れる理由。『HTの栽培技術は、そのほかの品種にも応用できる』という考えには同意できない。栽培の "目的" が違うのだから、その "方法" も当然異なるだろう(異なって然るべきだ)。コンテストへの出品はこの秋のばら展が最後。バラ会を退会し、独りになって考えてみる。 - 「神の数式」あるいは「花の中に おわします仏」
私が「見たい」と思っているものを言葉にするなら、これ。日々の些事を書き留めながら思考を深め、感性を研ぎ、自然をしっかり見たい。直感的に、その "真理" に触れてみたい。これが私の願望。 - バラの美しさはこの地の自然の中で
私の思考の道具はカメラ。ハウスの中では撮影の制約が多いし、その大半を占めるコンペティション・ローズの栽培を止め、手入れもされぬまま息絶え絶えの地植えのバラをリセットする、・・というか自分をリセットする。
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